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Monthly FACE 〜極める人々〜

穴澤郁雄さん(ペーパークラフト作家)

Profile

イメージ 1971年生まれ。福島県出身。鳥類のペーパークラフト作品を発表しており、「スズメ」「ウグイス」などの小鳥から「ハクチョウ」「オオワシ」など大型のものまで幅広く手掛けている。作品キット「もこもこ小鳥ペーパークラフト」は、ホームページ「Ikuo Anazawa's paper craft」から購入することが可能。

ホームページ「Ikuo Anazawa's paper craft」

「紙」から「鳥」を生む。

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1枚の紙から立体的な模型をつくりあげる――ペーパークラフト作家として活動している穴澤郁雄さん。主に鳥類の作品を制作しており、組み立てた作品は個展やグループ展などで発表しています。近年は、伊勢名物として知られる「赤福」のホームページで公開されている、伊勢の町並みのペーパークラフトの展開図を制作。その技術により磨きをかけ、活動の幅を広げています。

そんな穴澤さんがペーパークラフトを始めたのは5歳の頃で、「中学生になるまで夢中でやっていた」。その後はいったん興味が離れてしまいますが、美大時代の作品制作で再びペーパークラフトにのめり込んでいきます。

「大学では、動物や自然の研究をする『生物自然研究部』で鳥の研究をしていました。1回生の時の学園祭で白鳥の模型をつくることになったのですが、発砲スチロールが高かったことから『ペーパークラフトでやってみようか』とつくり始めたことでペーパークラフト熱が再燃。それを毎年バージョンアップさせていって、卒業制作でもペーパークラフトをつくりました」

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大学卒業後はDTPデザイナーとして働き、ペーパークラフトの作品制作も続けていましたが、「自分の気持ちに嘘はつけない」と退職。2007年からは作家としての活動を本格的に始め、今に至ります。

震災後に向き合った、「ものづくりの価値」

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穴澤さんの代表作は「イヌワシ」。実物大スケールの同作品は「A3用紙を何枚使っているかわからない」ほどで、組み立て作業に約2週間を要する力作です。穴澤さんは、その「イヌワシ」の派生作品である「ハクトウワシ」を2011年9月にアメリカ大使館へ寄贈。それには次のような理由がありました。

「東日本大震災によって被災し、不安な日々を送っていた東北の人たちを『トモダチ作戦』で救ってくれたアメリカに感謝の思いを伝えたかったんです。当時、私は神奈川県に住んでいましたが、3月11日は新潟県で開催予定だった個展に備えて、実家のある福島県福島市にいました。震災後は、電気・水道などのライフラインが止まり、当然、個展は中止となりました。先行きの見えない不安な毎日でしたが、そんな私たちの希望となってくれたのがアメリカ軍でした。
『トモダチ作戦』と称し、一刻も早く被災地に駆けつけてくれたアメリカ軍。実家のある地域は比較的被害が少なく、直接支援を受けたわけではありませんが、復興への道のりを明るく照らしてくれた彼らに何かお礼ができないかと考えたのです。震災直後は『クリエイターには、直接命を救うようなことができない。自分のやっていることに価値はあるのだろうか』と疑心暗鬼になっていました。しかし、友人の助言もあって、自分には『作品で、皆の“ありがとう”の気持ちを形にすることができる』と気付けた――それで、アメリカの国鳥でもあるハクトウワシの作品を寄贈したんです」

鳥を見る時のように、上を向いてほしい

2011年の震災直後、「創作活動に対して疑心暗鬼になっていた」という穴澤さん。あれから2年が経とうとしている今、変わらず作品をつくり続ける理由を話します。

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「今までは自己満足のために行なっていた作品づくりですが、『人のためにつくりたい』と思うようになりました。作品を寄贈した時に感じたのは、私たちは作品に思いを託すことができるということ。私は東北の人間として、一人のクリエイターとして、被災地の皆さんに『上を向いて歩いていきましょう』と伝えたいんです。それに、飛んでいる鳥を見る時、人は空を見上げますよね。そういう意味でも、鳥というモチーフはピッタリだと思うんです」

昨年8月には、地元である福島県に移住。上京するまでは「ださい町」とすら思っていた故郷の景色ですが、今では「見るものすべてが、きれいに感じる」といいます。

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「高校生までの自分とは、見える景色がちがうんです。今は毎日写真を撮ってしまうくらいに、本当に『美しい』と感じていて。……この町が愛おしくなったというか。これから、この景色に見合う鳥をつくっていきたいな、と思います。今までは生物学的に忠実な作品をつくってきましたが、もっと自分が感じた感動を素直に受け止めて表現していきたい」

そんな穴澤さんが震災後につくったのは、“永遠の時を生きる”とされる「フェニックス(不死鳥)」。復興に向けて、険しい道のりを歩んでいる福島県を思い、生まれた作品です。

「人々の諦めない気持ちを後押しするような作品をつくることが、自分にできること。空を飛ぶ鳥のように、作品によってそのメッセージを伝えていければと思います」


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