クラブ・エス ウェブマガジン

Monthly FACE 〜極める人々〜

田森庸介さん(漫画家)

Profile

1951年生まれ、東京都出身。代表作の一つ『ポポロクロイス物語』は、ゲーム化・アニメ化するなど幅広い年齢層に支持されており、2015年6月にはゲーム最新作『ポポロクロイス牧場物語』(株式会社マーベラス)が発売されている。近年の著作には『まほうねこダモン』シリーズ(ポプラ社)、『金の月のマヤ』シリーズ(偕成社)、『ポポロクロニクル』シリーズ(偕成社)など。

オフィシャルHP

『ポポロクロイス物語』最新作が発売

1978年にデビューした田森庸介さん。代表作の「ポポロクロイス物語」シリーズはゲーム化もされ、2015年6月にはゲーム最新作「ポポロクロイス牧場物語」(株式会社マーベラス)が発売。ゲームの完全新作としては実に11年振りの続編ということもあり、同作が発表された際にはファンを中心に歓喜の声があがりました。

イメージ

(C) Yohsuke Tamori (C) Yoshifumi Hashimoto(Marvelous Inc.) (C) 2015 Marvelous Inc.

田森さんが漫画家への道を歩み始めたきっかけは、小学生の頃に読んだ一つの漫画。“漫画の神”として知られる手塚治虫さんの「フィルムは生きている」を読み、大いに感動したという田森さんは「自分自身も人々に感動を与える仕事に就きたい」と、漫画家になることを決意します。しかし、実際に漫画家としてデビューするまでは、紆余曲折がありました。

「その当時は“漫画”といえば4コマ漫画くらいしか、世間には認知されていませんでしたし、漫画雑誌も少なく、新人がデビューするのは非常に難しい環境でした。しかも私が描いていたSFやファンタジーというジャンルの漫画は、どの出版社でも門前払いされたものです。加えて、大学時代にはオイルショックの影響で紙やインクが品薄に。雑誌の紙面が減ってしまい、漫画家としてのデビューはさらに困難な状況となってしまいました。その頃は、私を含めた多くの漫画家志望の青年たちが、漫画家になることを諦めたものです」

大学卒業後は実家の眼鏡店を継ごうと、北海道の眼鏡店で修行をしていた田森さんですが、オイルショックが終わって何年か経った頃、漫画雑誌が増えてストーリー漫画が世間に浸透してきました。漫画家への門戸が大きく開かれるようになり、田森さんは再び漫画家への道を目指すようになりました。

“希望の灯”を絶やさないように

当時を振り返り、「漫画家になること自体は、それほど難しいことではありませんでした。『私は漫画家です』と宣言すればいいだけのことで、問題はそれで仕事が来るかどうかだけだったのです」と田森さん。「幸いなことに、テレビの仕事が舞い込みました」と話すように、しばらくはテレビ番組「欽ちゃんのドンとやってみよう!」で使われる絵を描いていましたが、ある日、朝日新聞社から仕事の依頼が。

イメージ

(C) Yohsuke Tamori (C) Yoshifumi Hashimoto(Marvelous Inc.) (C) 2015 Marvelous Inc.

「小学生新聞に漫画を描かないか、というお話でした。当時の漫画誌といえば、ラブコメ・スポ根・学園ものが全盛の時代です。しかし、同紙ではジャンルは問わないとのことでしたので、少年誌では絶対に描けなかったファンタジー漫画を描くことにしました。それが『ポポロクロイス物語』です」

念願のファンタジー漫画を連載することになった田森さん。デビューして間もない頃、「“自分がつくりたいもの”と“依頼主に求められるもの”の差」に悩むことがあったかを尋ねると、次のような答えが返ってきました。

「自分がどんなものをつくりたいのか、何が好きなのかを明らかにしておけば、そういった悩みを抱くような仕事は来ません。もちろん、最初から自分の好きな仕事だけを選んでいては、生活ができなくなってしまいますけど…。昔は、私も来た仕事はすべて受けるようにしていましたが、求められるものに自分が流されているばかりでは、ストレスが溜まる一方です。ですから、どんなに忙しいときでも、必ず自分の好きな仕事を“希望の灯”として大事に育て、その灯を絶やさないようにしてきました。私が『ポポロクロイス』を描き続けてきたように。自分の好きな作品をつくり続けていれば、いつか必ず、作品を理解し賛同してくれる編集者やプロデューサーと巡り会う機会が訪れて、活路が一気に開かれるようになるものです。一度活路が開かれたならば、自分の信じる道を邁(まい)進すればいいわけで、そういった“悩み”が生じることもなくなります」

影響力ある作品への責任感

朝日小学生新聞で1981年から1986年まで連載された「ポポロクロイス物語」。同作品はその後、単行本化・ゲーム化・テレビアニメ化されるなど人気を博し、田森さんの代表作の一つとして広く世に知られることになります。

「ポポロクロイス物語」のほかにも、これまでに22作が発売された人気シリーズ「むちゃのねこ丸・ゲームブック」(ポプラ社)、近年では「金の月のマヤ」など、児童向けを中心にした作品を描き続けている田森さん。その理由を次のように話します。

イメージ

(C) 田森庸介・福島敦子/偕成社

「漫画家になるきっかけとなったのが手塚治虫先生の作品だったので、同じように、子供たちに感動を与えるのが自分の使命だと思っています。子供のときに受けた感動は、その後の人生を左右します。作品を通じて、子供たちに正しい心の指針や、どんな苦境でも希望を忘れない姿を示すことで、世の中をよい方向に導くことができると信じています。その意味では、作品をつくるということに対して、重大な責任も感じています」

幼い頃に映画や漫画が与えてくれた驚きと感動を、形を変えて人々に届けたい――そんな思いのもと、田森さんは今日も仕事机に向かいます。

「私の作品に対して、ファンからのお礼や応援のお手紙をいただいたり、私の作品に影響を受けてアニメやゲームの仕事に就いた人が、今度は多くの人々に感動を与える側になっている姿を見ると、勇気と希望が湧いてきます。ありがたく思うと同時に、新しい作品を生み出す原動力となっています」