偶然、始まった左官職人としての人生
福吉さんが左官職人の道を志したのは、今からさかのぼること14年。高校卒業後に入社した会社を退職し、フリーター生活を送っているときでした。
「左官職人になったのは本当に、たまたまなんですよ(笑)。高校を卒業して花の仲卸し会社に就職したんですが、わりとすぐにいろんな仕事ができるようになって。でも、それが逆に退屈っていうか、この先がないなって思って半年で辞めました。その後は飲食店でアルバイトをしてたんですが、働くならやっぱりたくさんのお金を稼ぎたいじゃないですか。でも、高卒だと就ける仕事も限られるので、手っ取り早く稼ぐなら“ガテン系”かなって。インターネットで『建築 女性』って検索したら、いま働いている原田左官工業所のHPが一番上に表示されたんです。それで、応募したら受かっちゃった、みたいな感じです(笑)」
かくして、見習いとして左官職人の道を歩み始めた福吉さんでしたが、入社2年目のころに大きなライフイベントを迎えます。それは、妊娠でした。しかし、この出来事が逆に、左官職人を続けていく“いいきっかけ”にもなったと振り返ります。
「まだまだ見習い期間中の身なのに妊娠しちゃったんです。退職も考えたんですが、子育てが落ち着いたころにまた仕事を探すって大変じゃないですか。そんな私を会社も受け入れてくれて。出産してからも職人さんたちがよくしてくれました。普通は現場での仕事が終わったらいったん会社に戻らないといけないんですけど、特別に直帰させてくれたりするので、逆に辞められなくなっちゃって。あのときに妊娠してなかったら、今こうやって左官職人として働いているか分からなかったですね(笑)」
左官職人に必要な“コミュニケーション”
4年の見習い期間を経て、ようやく職人へと上り詰めた福吉さん。“職人気質”という言葉があるように、頑固一徹でひたすら作品に向き合うイメージのある職人ですが、実際はどうなのでしょうか。
「もちろん、そういう職人さんも現場にはいますが、原田左官工業所のスタッフはみんな和気あいあいとしてますね。とはいえ、所属している職人が50人もいる上、一緒に現場に行くスタッフもその時々で変わるので、円滑に業務を進めるためにはコミュニケーションが大事だったりするんですよ」
もちろん、現場を指揮する監督や施主と話す機会も少なくありません。特に、施主とは完成形のイメージを共有しないといけないので、コミュニケーション能力は左官職人にとって重要な要素でもあるといいます。その際、女性だからこそ優位に働くこともあるのだとか。
「個人宅を請け負うこともあるんですが、その場合、現場では奥様に対応していただくことが多いんですよ。細かい要望とかがあっても、やっぱり職人にはいろいろ言いづらいじゃないですか。でも、女性職人だと気兼ねなく言ってくれるんですよ。『女性の職人さんでよかったわ、ありがとう』って喜んでもらえるので、女性職人でよかったなって感じることもありますね」
その一方で、女性職人だからこそ感じるデメリットもあるといいます。まだまだ日本社会において根強く残る性差別。男性の職人が多い左官の世界では、それが現在も払拭されることはありません。しかし、ある“秘策”を持ってそれに打ち勝つ努力をしているのです。
「女性の職人が現場にいくと、どうしても『大丈夫?』みたいな目で見られることもあるんですよ(笑)。なので、例えば個人宅の場合は細かいところまできれいに掃除して帰ったり、最初から汚さないようにしっかり養生をしたり、いろいろなシーンで一声かけてから作業をしたり。丁寧な仕事をすることで、女性職人でも安心してもらえるように気を付けています」
毎日がイレギュラーの連続
左官職人として週に2〜3カ所の現場を回るだけでなく、最近では東京から名古屋や大阪まで出向いて作業をすることも少なくありません。請け負うのは、店舗から個人宅まで実にさまざま。原田左官工業所では色味やパターンなど多くのバリエーションを誇る故、日々の業務はイレギュラーの連続です。
高校卒業後、すぐにいろんな仕事ができるようになってしまったことが原因で退職した経験のある福吉さんにとって、常に異なる業務を行う左官職人は最適な職業だったのかもしれません。
「たくさん種類があるので、現場が変われば扱う材料もまったく違うんですよ。また、季節や天候によって材料の扱い方も変わってくるんですよね。夏は乾くのが早いんですが、冬は乾くまでに時間がかかる。同じ業務を繰り返すわけではないので、学ぶことは多いですし仕事に飽きることはありませんね」


そんな福吉さんですが、実は左官職人としての夢を一つかなえてしまったといいます。それは、マイホームを手に入れること。ここまでであれば、誰もが抱くような夢ではありますが、福吉さんの場合はそれだけでは終わりません。
「2017年の12月にマイホームを購入したんですよ。その後、インターネットで材料を買って、仕事が休みの日に会社の人に手伝ってもらって壁を塗ったり、石を積んで玄関先に花壇を作ったり。念願のマイホームを自分の手で彩っていくのが一つの夢だったんですよね」
たまたま19歳のときに左官職人としての道を歩み始めた福吉さん。マイホームのリフォーム話を嬉しそうに話す姿から察するに、左官職人になったのは偶然ではなく必然だったのかもしれません。