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Monthly FACE 〜極める人々〜

き乃はちさん(尺八奏者)

Profile

1971年、東京・台東区生まれ。祖父である初代佐藤錦水や、母で民謡歌手の佐藤美恵子の影響で幼い頃から尺八に親しむ。大学2年の時に三橋貴風の演奏に衝撃を受け、弟子入り。古典を継承しつつ、ロックをはじめとする多彩な音楽に尺八を融合させ、日本の伝統文化の若き旗手として注目される。2009年7月22日、SONYよりアルバム「宙へ」「粋」が発売。

き乃はち 公式ウェブサイト

き乃はちさん(尺八奏者) 2009年5月14日、六本木。

日本の新しい伝統文化の形を国内外に発信しようとスタートした“日本流”覚醒プロジェクト「雷(いかづち)」の発足パーティで、き乃はちさんはオープニングアクトを務めました。

床から立ち昇る重低音のビートの上を、歌うように、流れるように響く尺八の音色。それを追う横笛やバイオリンの旋律。ロックの「熱」の中にも、どこか「静」を感じさせる凛とした和の佇まい。真夏日に、竹林の間を涼風が吹き抜けたような爽快感が会場を包みました。

「モチベーションを常に一定に保ちつつ、ステージで尺八に息を吹き込むその一瞬で、爆発できるアーティストになりたいんです」

そう語るき乃はちさんの目には、決闘に挑む剣士のような、静かな闘争心が宿っています。

「おもちゃ代わり」から「ライフワーク」へ 〜尺八との二度の出会い〜

き乃はちさん(尺八奏者) 花柳界のなごりが残る台東区・根岸の町。き乃はちさんは幼い頃から、黒塀の向こうから壁越しに聞こえるお囃子の“チントンシャン”を子守唄に育ちました。祖父は琴古流尺八の大家、父はテイチクレコードのディレクター、母は民謡歌手という音楽一家。長男である兄が厳しく尺八の伝統を叩き込まれる様子を横目に、気楽な次男坊は尺八をおもちゃ代わりに吹き始めます。そして、祖父や母の手伝いとして舞台に立つようになりました。

ところが思春期を迎えると同時に、尺八をピタッとやめてしまいます。
「邦楽器は何だか古臭い、かっこ悪いと思い始めたんです。自分は後継ぎじゃないからいいや、と」

高校時代は名門・明大中野でラグビーに没頭。大学では法学部に入学し、将来は父のように音楽業界に身を置こうと漠然と考えていた矢先、車のラジオから流れる三橋貴風の尺八の音に、雷に打たれたような衝撃を受けます。

「尺八と二十弦琴を現代曲でアレンジした、メロディアスな秋の曲でした。新鮮味を感じると同時に、心の底から“もう一度尺八をやりたい”という思いが込み上げたんです。きっと、自分が心の奥底で欲していた思いが、その曲をきっかけに溢れ出たんでしょうね」

翌日すぐに三橋貴風の元に行き、弟子入りを志願。師匠が止める間もなく大学を退学し、カバン持ちになりました。その頃、腰を据えて学んだのは、尺八の古典や虚無僧の法具として受け継がれてきた歴史でした。

「古典を勉強することで新しいものが見える。それがないと根本が揺らぐと思うんです」

その後、兄の参加していたロックバンド「六三四(むさし)」への加入、師匠とともに赴いた海外演奏旅行、2001年には自身のユニット「尺八防衛軍」を、翌年にはデジタルユニット「バンブーキッチン」を立ち上げるなど、活動が徐々に広がっていきます。特に高い評価を得た海外公演では、古典楽器としてではなく単なるサウンドとして尺八の音色を評価してもらえることに開放感を感じ、演奏家としてさらなる飛躍を遂げます。

“呼吸”を楽しむさまざまなアートとのコラボレーション

き乃はちさん(尺八奏者) そんな試行錯誤の中で常に胸にあったのは、師匠から繰り返し言われた「自分のスタイル、自分の世界観を作れ」という言葉。ソロとして活動する現在は、ロックやデジタルサウンドなど幅広いジャンルの音楽との融合に挑戦するだけでなく、詩人やアーティスト、居合の達人といったミュージシャン以外の人にも声をかけ、積極的にコラボレーションライブを行っています。

「僕の尺八の音色に合わせてアドリブで詩を書いてもらったり、お坊さんの吹くホラ貝と読経に合わせて演奏したり。尺八の演奏家は“呼吸”にこだわりますが、別の職業の人たちはミュージシャンとはまた違う“呼吸”を持っていて、そこが合ったり、ズレたりするのが楽しいんです。それを見ている方にも楽しんでいただければ」

ゲームやアニメの音楽制作、ロシアのモスクワ音楽院で教壇に立つことも、新たな挑戦だったといいます。

「ロシアには竹がないので、受講生の中にはインターネットで取り寄せた竹に自分で穴を空けて尺八を作ってきた学生もいました。楽器としてはひどい出来でしたが(笑)、でもその情熱にハッとさせられたんです。人に教えることは、自分のやってきたことを振り返るいい機会でもあります」

和の香り漂う、遊び心ある家

き乃はちさん(尺八奏者) そんなき乃はちさんは最近、地元・根岸に自分の家を建てたばかり。そこにも「和」のこだわりを散りばめたといいます。

「“遊び”がある家が好きです。だからわざと家の真ん中に石畳を作り、和室には炉を切って茶室にしました。やはり一見ムダなところに、人の余裕って生まれると思うんですよ。機能一辺倒だと疲れますよね。タワシでこすって模様をつけたリシン掻き落としの壁も、和の空間を意識したもの。やはり和は落ち着きます」

“日本”を世界に発信する若きリーダーとなったき乃はちさんですが、一方で「“伝統”という言葉は好きじゃない」と言います。

「伝統というと、どことなく“過去のもの”という意味合いや、肩肘張った感じを受けるから。自分の中で、常に尺八を新しいものとして捉えていたいんです」

“日本”を世界に発信する若きリーダーとなったき乃はちさんですが、一方で「“伝統”という言葉は好きじゃない」と言います。

(取材・文/井田奈穂)


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