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Monthly FACE 〜極める人々〜

黒川 雅之さん(建築家)

Profile

1937年愛知県生まれ。名古屋工業大学、早稲田大学大学院博士課程修了後、67年に黒川雅之建築設計事務所設立。建築設計のほか、プロダクトデザインも手掛け、合成ゴムを使用したGOMシリーズはニューヨーク近代美術館の永久コレクションに。建築作品には銀座くのやビル、パロマ本社、千葉南袖展望台など。「物学研究会」「デザイントープ」主宰。自身のブログ「曼荼羅紀行」をまとめた書籍“デザインと死”がソシム株式会社から発売中。

自身のブログ「曼荼羅紀行」をまとめた書籍“デザインと死”

黒川雅之作品のオンラインショップ「K-SHOP」

ビルから食器まで、生活環境をトータルにデザイン

黒川 雅之さん(建築家) ビルや劇場、照明器具にカメラ、イス、食器――。生み出す作品のジャンルの幅広さ、優れた機能と美しさから、いつしか「東京のダ・ヴィンチ」と呼ばれるようになった黒川雅之さん。その作品は学生時代から一貫している“人間を取り巻く環境すべてをひとつの概念としてとらえよう”とする姿勢から生まれたものだったといいます。

「レオナルド・ダ・ヴィンチは彫刻や絵画から、建築、人体の研究、飛行機の設計に至るまで、すべて同じ興味を持って探求しました。ところが近代に入ってから、人間はより合理的に深いものを手に入れようとして、建築やインテリア、グラフィックデザインなどとバラバラに分けて専門化した。これが近代化を促進した一方で、人間の生活環境をトータルに作る能力を失ってしまったわけです。だから僕は、ずっと建築もプロダクトも同じ延長線上にあるものとしてとらえてきました。今では『専門化=プロフェッショナリズム』と反対の、『アマチュアリズム』を大切にしようと主張しているぐらいなんですよ」

「モノづくりで大切なのは、普通の人の、普通の考えを失わないこと」と語る黒川さんは、モノを生み出す背景にある政治や経済、文化の動向について各界から講師を招いて学ぶ「物(ぶつ)学研究会」を主宰しています。この研究会の会員にはトヨタやホンダ、ソニーなど日本の主要メーカーのリーダーやデザイナーらが名を連ねています。
さらに作品のギャラリーやショップ、コンペティションを通じてデザイナーの国際的な活動を支援するウェブサイト「デザイントープ」も主宰。その設立には「一人でやっていてもつまらない。デザインに関わる様々な人が互いにつながり合い、作品を発表できる場所づくりができたら」という思いがあったと語ります。

黒川 雅之さん(建築家) 「キレイにかっこよく」なんて考えるな!
黒川さんはまた、モノづくりの中で深い思索を続けてきた哲学者でもあります。巨大なビル一棟、あるいは皿一枚に対しても、作品について表現する黒川さんの言葉は、単なる説明を超えたドラマに満ちています。作品に込められた思い、そこからにじみ出る黒川さんの人柄も、多くの人を惹きつける要因なのでしょう。

「モノを作る時、多くの建築家やデザイナーは『キレイにかっこよく作ろう』とするでしょう? でも見た目なんてデザインの中の微々たる表層です。例えばイスを作る時、僕はまず『イスって何だろう?』と本質を考えるんです。すると『イスは内側から僕を抱いてくれている。だからこれは母だ。インテリアだ』と感じる。一方、背もたれを後ろから見た時、『これはオヤジの背中だ』と思う。そして七転八倒しながら考える中で、『外観も内観も備え、インテリアでもありプロダクトでもある。そうか! イスとは建築じゃないか』と発見するんです。言語やプロセスは違っても同じことを感じるからこそ、世界中の建築家がイスの名品を残しているんだと思いますよ」

しかしイス以上に、法律、予算、構造、施主の好みなどさまざまな条件をクリアしなければならない建築は、「仕事の進め方に人柄が出る」と黒川さんは指摘します。

「僕の良さでもあり最大の欠点でもあるのは“優しさ”。だから歴史に残るような鮮烈な建築は生みにくいんです(笑)。とはいえ、建築は客観的に見るだけではなく、人間を取り囲む環境にもなります。内側に身を置いた時にどう感じるかを一番大切にしなければいけません」

「建築設計に必要なのは、それをサービス業だと思わないことです。『自分の人生をどう生きるか』ということと、『どう作るか』を同じ土俵で考え、自分のために納得できるものを限界まで追求すべきです。時には施主から難しい注文を突きつけられる場合もあるでしょう。でも相手の希望を取り入れつつ、最後は『プロに任せて下さい』と説得することも建築家のひとつの能力です。あとは、自分に建築の能力がないと思ったら早くやめること。うっかり建築家に憧れたばかりに人生を無駄にしている人が多いのが残念です。人間には必ず才能が発揮できる職業があるんですから、方向転換を恐れてはいけません」

感動と好奇心が明日を生きる原動力

黒川 雅之さん(建築家) 建築家の父の元に生まれ、兄(黒川紀章さん)・弟も建築家という一家に生まれた黒川さんにとって「建築家になるのは宿命だった」といいます。しかし「マルセイユのユニテ・ダビタシオンを見て体が震えた」という若かりし頃から、「感動が明日も僕を生き続けさせてくれている」と語る現在も、変わることなく好奇心を持ち、情熱を燃やし続けています。上海やアモイなど中国の大学で教壇に立つことも「僕が人生を楽しもうと考えたことが、結果的に人に伝えることにつながっているだけ」と、ごく自然体。そんな情熱家・黒川さんが2009年4月4日、72歳の誕生日に、若い世代と語り合う「K塾」を発進させました。

「ラテン語に『メメント・モリ=死を思え』という言葉がありますが、それはすなわち『“生”を生きろ』という意味です。私はあと10年生きられるかどうか分かりません。僕の中からこみあげる衝動を、K塾に集まる有志のみなさんに“遺言”代わりにお渡ししておこうと思ったんです。願わくは僕のDNAともいえる思想が、若い人たちの中で育ってくれれば、こんなに嬉しいことはありませんね」

(取材・文/井田奈穂)


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