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Monthly FACE 〜極める人々〜

紙田和代 ハト屋パン店オーナー

Profile

1960年生まれ、大阪府出身。大阪市立大学工学部建築学科を卒業後、博覧会のパビリオン設計等の仕事を経て、東京大学大学院社会基盤学専攻後期博士課程で土木を学ぶ。博士(工学)。専門は、都市計画や密集市街地整備、住民参加のまちづくりなど。一級建築士、技術士(建設部門・都市および地方計画)、土地区画整理士、認定都市プランナー、既存住宅状況調査技術者(インスペクター)、調理師免許といった資格も取得し、各地の活性化に従事。現在は、まちづくりや都市計画のコンサルタントを行うランドブレイン株式会社で取締役を務めるかたわら、自身が買い取ったコッペパン専門店「ハト屋」にも立つ。

商店街の街並みを保存するために、自分が買うしかないと思った

数多くの商店が立ち並ぶ墨田区京島のキラキラ橘商店街で、名物店として長年愛されているのは1912年創業のコッペパン専門店「ハト屋」。2017年に一度は閉店してしまうものの、京島の密集市街地改善に携わっていた紙田和代さんの手によって復活を遂げました。もともとは単なるファンの一人だったという紙田さんとハト屋の出会いは、20年以上前までさかのぼります。

イメージ 「大学で建築を学んだ後、博覧会のパビリオンの設計などをしていましたが、転機となったのはヨーロッパを旅行した時。1000年以上の歴史がある街並みを目にして、自分もこういうまちづくりをしたいと思うようになりました。それから都市計画や地域の活性化をはじめ、密集市街地の改善を担当するようになり、その一環として訪れたのが墨田区の京島です。商店街でも有名だったので、仕事で行ったらハト屋のコッペパンを買って帰るというのがお決まりでした」

その後、2017年に店主が他界し、後継者のいなかったハト屋は惜しまれながら閉店。京島を気に入って住み始めていた紙田さんは、2年近くハト屋の様子を遠くから見守っていたのだとか。そんな中、「ハト屋が売りに出されている」という情報を耳にすると、紙田さんは一気に動き始めます。

「最初から買いたいと思っていたのではなく、解体して建売住宅を建てるという業者やビルへの建替えを検討している人がいるらしいと噂を聞き、それだけは避けたかったというのがきっかけ。なぜなら、私は建売住宅は商店街の連続性を阻害する原因の一つだと考えているからです。店主と親しくしていたわけではありませんが、ハト屋の看板を守りたい気持ちと商店街の街並みを維持するという意味合いから、自分が買うしかないと思って買いました。ただ、空き店舗のままでは意味がない。コッペパン屋さんをしてくれる人を探すために、まず改装工事から始めました。でも、廃虚になりかけていたので、とにかく掃除が大変でしたね」

半年以上かけて店舗を完成させたものの、お店を任せられる人が見つからず、紙田さんは会社員としての生活を続けながら自分でお店を開くことを決意。作ったこともなかったパンの修行にゼロから取り組みます。

イメージ 「パン作りをひととおり習った後は、朝6時半から8時半までハト屋に立ち、会社で働いて帰ってきてから仕込みをする日々。自分の仕事もたくさん抱えていたので、睡眠時間が2時間ほどの生活がしばらく続くことに…。そんな時にお店のお客さんでもあった方が、IT関係の仕事をしながら副業でお店を引き受けてくださることになり、経営も含めてバトンタッチしました。今は、日曜日だけ私がお店に立つという形にしています」

そんな紙田さんの苦労が報われ、ひっきりなしにお客さんが訪れるほど大盛況のお店として完全復活。とはいえ、「未経験のパン作りに加え、自身の老後資金を投入してハト屋を購入したことに不安はなかったのか?」と聞いてみると、紙田さんは笑いながらこう答えます。

「自分が思っていない方向に話が進みそうになったり、パン作りの修行中に『紙田さんには無理です』と言われたりして、つらいこともありました。でも、私は今までも無理なことも乗り越えて生きてきた人生。『そんなはずはない!』と逆に燃えて、絶対に途中では諦めないと決めました。失敗しそうになった時に、活を入れながら一生懸命助けてくれる夫もいるので、支えられながらここまで来ることができたと思っています。あとは、本業で空き店舗活用に関する事業計画立案やキャッシュ・フロー計算には慣れていたこともあり、賃貸事業により15年ほどで資金を回収できるだろうと計算していたので、金銭面の心配は特にありませんでした」

心掛けているのは、地域の暮らしがわかるコミュニケーション

今となっては、紙田さんにしかハト屋の立て直しはできなかったのではないかと思わせるほどですが、自身も「やってよかった」と感じる瞬間があると話します。

イメージ 「それは、みなさんに『なくなって寂しかったから再開してよかった』と言っていただいたり、近所のおじいさんやおばあさんたちが通ってくださったりする時です。私が知らない昔の話などをよく聞かせてもらっています。ハト屋が地元のコミュニケーションの場になっていることもうれしいですね」

紙田さんは過去にも東日本大震災の被災地である岩手県宮古市で復興事業に携わる中、コミュニティカフェ「たろうの浜小屋」を設立。東京へ異動となってからも、仕事を続けながら毎週末は夫婦で宮古市に夜行バスで通って運営を続けてきました。誰よりも地域に住む人たちに寄り添っている紙田さんだからこそ、仕事をする中で大事にしていることがあると言います。

イメージ 「お店ではただ商品を売買するのではなく、『どうしたら商店街を盛り上げていけるか』『お年寄りが買い物しやすいようにするにはどうすべきか』といった地元の方々の暮らし向きがわかるようなコミュニケーションを取るように心掛けています。商店街があることによって、誰もが安全で楽しく暮らせたらいいなと思うので。私は建築や都市計画の専門家ではありますが、偉そうに意見を押し付けるのではなく、みなさんの声に耳を傾けることを大切に考えています。なぜなら、“暮らしの専門家”はそこに生きている方々だからです。みなさんの理想を実現するために、自分の能力を少しでも生かしたいですし、足りない部分はもっと勉強していけたらと。これからも商店街のお手伝いができるように精進していきたいと思っています」

一方的に誰かが利益を得るのではなく、住む人たちも含めてみんながいい状況になることが一番の目標だという紙田さん。すでに新たな夢に向かって走り始めています。

「ハト屋の近くで空き地になってしまった土地があり、建売住宅が建とうとしていましたが、実は最近私が買い取りました。そこには、昔ながらの長屋を作ろうと計画しています。商店街に商店がなくなっていくことが嫌なので、コワーキングスペースとシェアキッチンにして、小商いができるような場所にできたらいいなと。大変なことは多いですが、大好きな長屋の街並みを残したいですし、この先も京島の風景をずっと守っていきたいです」

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