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Monthly FACE 〜極める人々〜

朝原智子さん(裂織職人)

Profile

1979年生まれ、東京都出身。作硯(さくけん)について、16歳より祖父・青蝠ロ男氏と父・青蜿イ男氏に師事したのち、祖父が他界したことをきっかけに21歳で製硯(せいけん)師になることを決意。浅草で80年以上続く書道用具専門店「宝研堂」の4代目も務めている。技術の継承だけでなく、2000年続く硯芸術の熟成を目指し、新たな硯式の提案や未知数の素材開拓にも挑むほか、社会活動や講演などを通じて、日常生活における毛筆文化の復活にも積極的に取り組んでいる。

祖父と父の姿を見て、この先に面白いものがあると感じた

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デジタル化が進む現代において、各地の伝統文化もそれぞれの問題と向き合っているところですが、硯や毛筆文化の発展を支えている一人といえば、製硯師の青蜍M史さん。浅草にある1939年創業の書道用具専門店「宝研堂」の4代目としてだけでなく、日本で唯一の製硯師としても注目を浴びています。今回は、製硯師として感じるやりがいや目指していることなどについて、語っていただきました。

「製硯師というのは、中国で誕生した製硯家からきている肩書きですが、簡単に言うと“硯を作る専門家”のことを指しています。ほかにも主な仕事としては、硯の修復や文化財の復元というのもあるので、過去には夏目漱石の硯の復元制作を手掛けたこともありました。一般的に硯職人とは石が採れる地域で伝統的な製法を用いて作られている方のことで、それに対して、いかなる石をも硯にするのが製硯師です。そういったこともあって、僕は月の石や自然金で作ってみたり、石を探す旅に出てみたり、隕石(いんせき)が降ってきそうなところにまで行ったりしているんですよ(笑)」

青蛯ウんが祖父の青蝠ロ男さんと父の青蜿イ男さんに師事したのは、16歳のとき。その後、21歳から本格的に製硯師としての道を歩み始めます。

「僕にとっては今使っている工房も子供の頃からの遊び場でしたし、祖父と父が人生を懸けて向き合っている背中を見ながら、『きっとこの先にあるものは面白いものなんだろう』と思っていました。2人が石や硯のことについて楽しそうに話している姿は、今でもよく思い出しますね。それに、母方の祖父母も書家だったこともあり、書道や硯は常に僕の近くにありました。そんな風にこの世界のとりこになっている人たちが情熱を傾ける姿を見て育ったので、それらが自然と血となり骨となって僕の体を作り上げていったように感じています」

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とはいえ、キャリアをスタートさせてからすぐに現実の厳しさに直面した、と当時を振り返ります。

「20年前の段階ですでに墨をする方も、日常で筆を使う方も減少傾向にありました。その後、墨汁の発達とともに人が時間に追われ始めるようになり、『たくさんの墨をするのは大変だ』と言われるように…。そして、ついに業界の第一人者から聞かされたのは、『硯の時代は終わった』という衝撃の言葉でした」

ところが、そんな厳しい状況に追い込まれても、不安に陥るどころか駆り立てられたという青蛯ウん。そこからは、自分なりにさまざまな方法を模索し始めることに。

「祖父や父、そして自分がすべてをささげている世界の面白さを知ってもらえるように努力しようと思い、まずは超絶技巧の彫刻を施したものを作って振り向いてもらおうとしました。でも、途中で気が付いたのは、今の社会で何が起こっているのかという現実に目を向けることの方が大切。なぜなら、人が筆で字を書くことから離れ始めている世の中で、もう一度みなさんがこの文化に触れる環境を作るために、どういうケアをしなければいけないかと考える必要があったからです。毛筆文化にある本当の面白さが埋没してしまわないために、今でもどうするべきかを考え続けています」

悩めば悩むほど、石と過ごす時間は楽しいものになる

硯と真摯(しんし)に向き合いながらも、物事を幅広く見る視点を持ち続けられるのが青蛯ウんの強み。

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「もちろん技術的なところも大事ではありますが、もっと本質的な方向に目を向けてみたとき、重要だと感じたのは、石の素材を最大限に生かせているかどうか。僕にとって、最大の賛辞があるとすれば、『まずはいい石ですね。それと、作りもいいですね』と作りの部分があとについてくることですね。ただのエゴにならないように、自分の視野を広げることは忘れないように心掛けています」

さらに、さまざまな人や作品と触れ合うなかで、製硯師になったからこそ感じる醍醐味(だいごみ)があると話します。

「僕が作るものは、100年、1000年と残っていくものなので、純粋にそこに対するうれしさもありますが、同時に変な物は作れないからこそ実直に向き合いたいと思っています。僕の願いは、使う方の人生に硯が寄り添うものになること。皆さんの生活をどのように豊かにできるか、それだけだと思っています」

仕事で悩むことはあっても、つらいと感じたことはないと笑う青蛯ウんですが、その秘けつは何よりも楽しさがそこにあるからだとか。

「これだけの美しさを持った石に対して、僕は何ができるんだろうかと沼にハマってしまうと目をつぶっていても硯の造形が頭の中に浮かんで眠れなくなることもしばしば。例えば、市川猿之助さんから『家宝になる硯を作ってほしい』と言われたときや『青蛯ウんの代表作を』と言われた時なんかは、本当に悩みましたね。でも、難しいオーダーで悩めば悩むほど、石と過ごす時間は楽しいものですよ(笑)」

石に対する並々ならぬ愛情と好奇心、そして仕事に対する誇りがひしひしと伝わってくる青蛯ウん。自身の仕事を通して、伝えたい思いがあるといいます。

「硯は最終的にはただの筆記用具ではありますが、自分の作品が硯芸術に触れるきっかけになり、素敵な世界だなと感じてくださる方がいたら幸せですね。筆も日本人にとっては、とてもハートフルな道具であることをもっと知ってもらいたいです。そのために、これからの時代はより多様性を持って取り組んでいきたいと思っています」

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