未経験から研磨職人の道へ
「最初の3年間は研磨の依頼もほとんどなくて。東日本大震災をきっかけに研磨職人を辞めようとも考えました」
スケート教室の生徒や日本を代表するエリートスケーター、そしてアイスホッケー日本代表まで、ありとあらゆるジャンルのスケート靴を研磨する吉田さん。時には、選手と共に遠征先まで同行することもあれば、練習の拠点がある海外からスケート靴を送ってくる選手もいるなど、今やこの国の“氷上の研磨界”を代表する一人です。
しかし、ふとこぼしたこの一言には、現在の活躍からは想像できないほどの苦悩もあったのです。
吉田さんがこの業界に足を踏み入れたのは、さかのぼること10年前の2009年。元フィギュアスケート選手であり、妻でもある阿部奈々美さんとの出会いがきっかけでした。
「当時、彼女はフィギュアスケートのインストラクターのアシスタントをやっていて。話を聞いたら、スケート用品の販売はもちろん、スケート靴の研磨やフィッティングなどといったメンテナンスも含め、すべてインストラクターが担っている状態でした」
それもそのはず、当時、仙台はもちろん東北にはスケート専門店が存在せず、例えばスケート靴を購入する際などは、関東や関西の専門店から取り寄せる他なかったのです。
これは需要があるかもしれない―そう考えた彼は、それまで営んでいた建築関係の事業に終止符を打ち、フィギュアスケート用品専門店「NICE」を立ち上げます。
東日本大震災で抱いた「使命感」
かくして、フィギュアスケート発祥の地ともいわれ、多くの有名選手を輩出している仙台市内に、東北初となる専門店を立ち上げた吉田さん。意気揚々と事業をスタートするものの、多くの挫折を味わうことになるのです。
「アメリカから商品を取り寄せていたんですが、オーダーしたものと違う商品が届いても並行輸入なので返品できないんです。そういった商品がどんどん積み重なっていって、これはまずいぞって…」
さらに、「NICE」ではスケート用品の販売の他、スケート靴のメンテナンスも手掛けていましたが、メンテナンスに関しても注文が殺到することはありませんでした。
「研いでも1日に2〜3足程度。その依頼も、妻がスケート教室で教えている生徒さんのスケート靴ばかりでしたね。しかも独学で始めたので、何が正解か分からなくて…」
決して順調とはいえない状況の中、未曾有の事態が吉田さんを、そして「NICE」を襲うことになるのです。それは、マグニチュード9.0で、最大震度7というわが国における観測史上最大の東日本大震災でした。
「震災でお店が使えなくなって、もう店を閉めようかとも思いましたね。でも、数は決して多くないにせよ、それまでずっと頼ってくれていたエリートスケーターからも『研いでください』って声があって。辞めたくても続けないとっていう使命感みたいなのが芽生えてきたんです」
そんな吉田さんに大きな転機が訪れます。それは、スケート場がある「アイスリンク仙台」の一角に、店舗を構えることでした。

後継者を育て、スケート、アイスホッケーの発展に貢献したい
震災前に店舗を構えていたのは、スケート場から徒歩5分ほどの距離。この5分の差が埋まったことで、「研磨を始めとしたメンテナンスの技術が向上した」と振り返ります。
「リンクの横でメンテナンスすることで、スケーターの細かい要望にも即座に応えられます。すると、それまでになかった繊細な部分も要求されるようになり、今度は研磨機を改造するなどしてブラッシュアップを図る。その結果、スケーターの滑りが向上するだけでなく、『こっちにズレていると、こうなってしまう』などといった論理的な部分も分かるようになったんです」
氷の上を滑るフィギュアスケートは、私たち素人には想像できないほど繊細な競技。フィギュア界を代表する選手の靴ともなれば、特に繊細なメンテナンスを求められるのです。故に、こういった選手の多くは現在でも遠征先の海外からスケート靴を送ってくるほど、吉田さんを頼っています。
氷の上を滑るフィギュアスケートは、私たち素人には想像できないほど繊細な競技。フィギュア界を代表する選手の靴ともなれば、特に繊細なメンテナンスを求められるのです。故に、こういった選手の多くは現在でも遠征先の海外からスケート靴を送ってくるほど、吉田さんを頼っています。
こうしてスキルが格段にアップした吉田さん。その腕を買われ、現在はフィギュアスケートだけでなく、アイスホッケーのトップチームや、アイスホッケー日本代表の選手が着用するスケート靴などのメンテナンスも手掛けているといいます。
そんな彼の今後の目標は、これまで培ったスキルをアウトプットし、代わりとなる後継者を全国に普及させること。
「特にフィギュアスケートの場合、“刃が命”といわれるほどスケート靴の刃が滑りに大きく影響します。ある程度、一定のスキルを持った職人が研がないと、上手になるものも上手にならないんです。技術を伝えることで後継者を増やしていきたいなって。特に日本のフィギュアは、いい先生が多いので、そうすることで業界の発展につなげていきたいですね」
