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Monthly FACE 〜極める人々〜

Hana4(アーティスト、ネイルデザイナー)

Profile

1939年生まれ、長野県出身。中学校を卒業後に上京し、葛飾区にあるクリーニング店に入社。その後、東京都・四谷に本社を構える「サンランドリー」に転職し、1977年には日本初のレディース専門クリーニング店「レジュイール」の店長に抜てきされる。1983年にサンランドリーから「レジュイール」を買い取り、「有限会社レジュイール」として独立。クリーニングの本場であるヨーロッパの技術を取り入れ、唯一無二のクリーニング店としての地位を築く。レジュイールの創業から30年が経った2013年に代表取締役会長に就任。著書に「クリーニングのプロが教える 家庭洋服の洗い方とお手入れ(マイナビ文庫)」「クリーニング革命-すべては喜ばれるために(アスペクト)」など。

街のクリーニング店とは一線を画す“洋服専門ケアのお店”

「レジュイールはクリーニング店でなく“洋服専門ケアのお店”なんです」ー。
都心の一等地として知られる港区南麻布。2003年に建てられた6階建ての本社ビル内で、古田さんは語気を強めてそう語ってくれました。

「レジュイール」が創業したのは1983(昭和58)年。以来、パリやミラノなどといったヨーロピアンクリーニングの技術を取り入れ、“街のクリーニング店”とは一線を画す洋服ケアのプロとして30年以上もの歩みを重ねてきました。

例えば、一般のクリーニング店では落とせなかった黄ばみも、レジュイールでは独自のスペシャルケアを施して白さをよみがえらせます。オーダーを受ける際には一風変わったシステムを採用。クリーニング業界は、細心の注意を払っても予測できないアクシデントが発生することもあるが故、“クレーム産業”などといわれることも。そんな不慮の事故に備え、レジュイールではすべてのお客さんと「ケアー契約」を結んでからオーダーを受けるのです。

「お客さんにとって洋服は財産なんですよ。イメージしていた仕上がりと違ったり、最悪の場合は商品自体を紛失してしまったり。不慮の事故はどうしても起こってしまう。電化製品や車だったら事前のテストに合格してから販売されますが、洋服の場合はいくら高額でもテストなんかしないじゃないですか。でも、我々のようなお店で事故が起こったら『お前が悪い!』って言われちゃうんですよ。契約書を交わすクリーニング店なんて、世界中どこを探してもないんじゃないですかね」

このケアー契約に納得してもらえない場合、オーダーを受けることはできません。しかし、レジュイールの仕上がりや取り組みが話題を呼び、数々のメディアに取り上げられ、それをきっかけに県外からも多くのオーダーを獲得するまでに成長しました。

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原点となったアメリカでの研修旅行

古田さんがクリーニング業界に足を踏み入れたのは、今からさかのぼること65年。実に、半世紀以上も前のことです。中学校を卒業してすぐ、親族に紹介してもらったクリーニング店で働いていた彼は、仕事観を変えるきっかけとなった“ある経験”をするのです。

「当時は、お客さんのところへ革ジャンにヘルメット姿で行って、薄暗い裏口のような場所から出入りしてたんです。そうしたら、『何をしてるんだ?』と不信がられたことがあって、自分の職業を卑下されてるように感じちゃったんです。お客さんからしたら<クリーニング店=洗濯屋>なので、家庭の洗濯の延長線上にあるようなものですからね。技術を売ることができれば、洗濯屋から脱皮できるんじゃないかな、と」

そこで4年ほど働いた後、東京都は四谷に本社を構えるクリーニング店の老舗「サンランドリー」に転職。ここでもまた、レジュイールのベースを築く経験をたくさんしてきたという古田さん。中でも、35歳のときに研修で訪れたアメリカでの経験が大きな転機になったと振り返ります。

「ドレスを専門としたクリーニング店に見学に行ったんです。日本でドレス専門のクリーニング店なんて考えられないじゃないですか。ドレスはもちろん、着物やマットなどなんでもきれいにするのがクリーニング店だと思っていたので、ドレスの専門店ということに衝撃を受けました。これをきっかけに、『いつか日本でこういうお店をオープンできたらいいな』って思ったんですよね」

しかし日本の文化を考えると、ドレスの専門店としてオープンさせるのは現実的に厳しいと判断。そこでターゲットとなったのが婦人服だったのです。

「独立して女房と2人でやろうと思って当時の社長に話をしたら、その計画に乗って私の代わりに出店してくれたんです。それで、1977(昭和52)年に原宿でオープンしたのがレジュイールの前身となるお店でした」

クリーニング店の常識を覆す

「これでようやく洗濯屋から脱皮できる」―そう思ったのもつかの間のこと。従業員の給料はもちろん、家賃も払えないほど閑古鳥が鳴く状態が続きます。その状況を打破したのは、ささいなことがきっかけでした。

「あるお客さまから当時有名だった超高級ブティックを紹介され、そこの相談役から、『本当にやる気があるならお客さんを紹介してやる』と言われて。『心してやれよ』と念を押されていたこともあり、お客さまのところに革ジャンやスニーカーで行ったら失礼だと思ってスーツを着て行ったんです。そして、商品を真っ白い風呂敷に包んで、袋ではなく白い風呂敷に入れて持って帰ろうとしたら、『ここまでしてくれるのは初めてだ』と、大層喜んでいただけました」

それまでのクリーニング店の常識を覆し、状況を一変させることに成功した古田さん。その後も多くの施策を試み、たくさんのお客さんを集めてお店が軌道に乗り始めた一方で、「あまりに高額な商品の依頼があって行き詰まったこともあった」といいます。

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「このままじゃダメだと思い、クリーニングの本場であるヨーロッパに研修に行くことにしました。例えば、アイロンの掛け方がまるで違うんですよ。それまではシワをなくすのがアイロンの役目だと思っていたけど、デザインを復元するのが本来の目的なんですよ。また、スカートなんて裾を全部ほどくだけでなく、詰まった埃を取ってから元の姿に復元する。これが技術を売ることかと衝撃を受けましたね」

これが自分の店でできるようになれば、うちの経営は安泰だ−そうして出来上がったのが現在のレジュイールなのです。

「百聞は一見にしかずということで、技術を学んでもらうためにヨーロッパ研修を定期的に開催するなど社員に投資してきました。クリーニング店で働き始めた頃に、『どうしてお前みたいなやつが玄関から入ってくるんだ』って言われたのが肥やしになって、クリーニング店から脱皮し、技術を売る“洋服専門ケアのお店”になれたんだと思います」

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