「時計屋になんかなりたくなかった」
柳誠一朗さん、79歳。今もなお現役の公認高級時計師として活躍する彼は、おもむろに工房の椅子に座ると、熟練の技で一つ一つ丁寧に時計の修理をしながらこう話し始めました。
「公認高級時計師は、【C.M.W】(※Certified Master Watchmaker)ともいってね、時計職人の中でも最難関といわれる資格なんですよ。これまで800人くらいしか合格していないんですが、私は466番目の合格者なんです」
柳さんが時計の修理を始めたのは、今からさかのぼることおよそ70年。なんと、彼がまだ小学5年生の頃でした。
「富山の実家が時計屋で、時計の『チックタック』って音を聞きながら育ちましたからね。親父から教えてもらいながら、小学5年生くらいの頃から置き時計や目覚まし時計なんかは直してましたよ。修理代としてもらえる500円がうれしくてね。当時は駅の立ち食いうどんが20円でしたから。そのころの500円といったら相当な価値ですよ」
懐かしげに少年時代の思い出を話してくれた一方で、当時は「時計屋になんかなりたくない」と思っていたそうです。
「おやじは職人肌だから、気が乗らなかったりすると仕事を放り出す人だったんですよ。長いと一年近くも平気でお客さんの時計を預かっていたので、当然お客さんは怒りますよね。おやじが店にいないと、おふくろや私が怒られたりもしてね。そういうのもあったので、絶対に時計屋なんかは継がない。サラリーマンになるんだって思っていましたよ(笑)」
時代の流れに合わせて自身も柔軟に変化
工業高校の機械科を卒業後に時計のぜんまいメーカーに就職。そこで、溝付きの新たなぜんまいの開発に携わるなど大きな功績を残すのです。
「特許を取得して、10社くらいのメーカーさんに卸すようにもなってね。すごくうれしかったなぁ。人間って不思議なものでね、自分の手掛けたことが認められると自信がつくんですよ。なんでもできる気になっちゃうっていうかね。あんなに継ぎたくなかった実家の時計屋を『俺が継ぐぞ、俺が継がずに誰が継ぐんだ』ってやる気になっちゃったんですよ(笑)」
そうして、7年半務めたぜんまいメーカーを退職し、実家の時計店を継いだ柳さん。それから2年後に最難関の公認高級時計師の資格を取得し、意気揚々と人生の再スタートを切ったものの、時代の流れに逆らうことはできず…。公認高級時計師を取得してから数年の時を経て、時計ではない“あるモノ”に目を付けます。
「当時は自動巻きからクオーツに移り変わる時期でもあってねぇ。自動巻きの時計を修理するには1万円くらい必要なんですが、それくらいあれば高精度なクオーツの新しい時計が買えるんですよ。それなのに自動巻きの時計を直して使いたい人なんていないでしょ。だから、今後は時計修理の需要なんて落ちていくだろうなって思ったんです。一方、眼鏡ならみんな老眼になる。だから眼鏡も扱おうと思って、資格も取得したんです」
さらに宝飾関係の資格も取得し、時計、眼鏡、宝飾の三本柱で家業の立て直しを図ります。しかし、それから数年後、税務上の関係で家業は閉店…。またしても、再スタートを切らなければいけない状況に陥ってしまうのです。

70歳で再び時計の道へ
眼鏡の需要がなくなることはない─そう考えた彼は、富山から単身、上京して東京の眼鏡店に再就職を果たします。35歳くらいの頃でした。
「70歳くらいまで在籍していたので、30年以上はお世話になりましたかね。私が入社した時はまだ20店舗くらいだったんですが、辞めるころには360店舗くらいまで拡大しましたよ」
実は、柳さんのキャリアのほとんどは、眼鏡店での新規店舗開発や店長の教育など。それなのになぜ再度、時計職人としての道を志したのでしょう。
「やっぱり時計が好きでね。眼鏡店で働いてる時も、時計関係の本はずっと読んでたんですよ。それを見た同僚からは『時計の本を読んでる時は目の色が違う』なんて言われたこともありましたよ(笑)。それだけ好きだったんですよね」
時計への思いを捨てることができなかった柳さんは、70歳で眼鏡店を退職すると、時計の修理職人としての道を歩み始めます。
通常、70歳といえば定年退職をしてもおかしくない年齢です。それでも新たな道を歩んだのには、ある理由がありました。
「理由はいくつかあるんだけどね。まずは、せっかく公認高級時計師の資格を取ったのに、実際に業務として生かしたのは6〜7年くらい。だから、『もう一度試したい』っていう思いが根底にあったんですよね。あとは、単純に喜んでもらいたいから。時計を修理したらお客さんから『ありがとう』って言ってもらえるでしょ。喜んでもらえたら、こっちも気持ちがいいからね」
最後に、今後の目標を聞いてみました。
「おじいちゃんの形見とか、どうしても直したい時計ってあるでしょ。でも、どこに依頼しても直らないってことがあるんですよ。実はそういう時計を直す方法があってね。今、私が働いている工房には、他にはないレアな機器もあるから、そういう時計も直せちゃう。これは目標というか、使命だと思ってやってますよ」
