普通の主婦が七夕飾りの職人へ
宮城県・仙台市の夏の風物詩として知られる「仙台七夕まつり」。期間中は県内外から合わせて200万人もの見物客でにぎわうなど、東北を代表する祭りの一つともいわれています。
仙台七夕まつりの特徴といえば、豪華絢爛(けんらん)な吹き流し。およそ3000本にも及ぶ色とりどりの吹き流しが、仙台の商店街を埋め尽くします。その吹き流しを作り続けて実に40年以上の女性が、山村蘭子さんです。
「七夕は私の生きがいですね。長生きできているのは、吹き流しを作り続けているからかもしれませんね(笑)」
そんな山村さんが吹き流しの制作に携わったのは、ひょんなことがきっかけでした。
「いま、私が在籍している鳴海屋紙商事で、当時、七夕事業を専任していた方が退職しちゃったんですよ。当時は働かずに専業主婦をしていたんですが、知り合いでもある鳴海屋紙商事の6代目社長から『やってみないか』と声を掛けてもらったのがきっかけでした」
普通の主婦だった彼女が七夕事業の専任者として抜てきされました。「とりあえず」のつもりで「はい」と答えた山村さんでしたが、それから1年もしないうちに吹き流し作りに没頭することになるのです。
「機械では作れないから、一つ一つ全部、手作りなんですよ。もちろん、最初はうまくなんか作れませんでしたよ。でも、何もないところから作っていくでしょ。失敗なんかも重ねてね。その分、自分の思い通りに作れるのが楽しくて。ハマっちゃいました」
困難すらも「楽しさ」に変えていく
すっかり吹き流し作りに魅了された山村さんでしたが、時には大きな壁にぶち当たることもあったと振り返ります。
「依頼をいただいたお客さんのイメージ通りにできないときは苦労しましたね。吹き流しは友禅和紙でできてるんですが、職人さんの手加減で染めているので、去年作ったからといって今年も同じ色味を出せるわけではないんですよ。そういった試行錯誤を続けていても、七夕まつり当日の8月6日の朝9時には納品しないといけないので大変でしたね」
88歳になった現在でも、納期に間に合わせるために朝まで作業をすることもあるそう。それでも、「40年以上続けていて辞めたいと思ったことは一度もない」と語ります。
「とにかく楽しいんですよ。うちの会社では仙台七夕まつりの時に商店街で飾られる3000本のうち、1000本を手掛けてるんですが、和紙の柄はもちろん、デザインも全部違うんです。同じだったら遠くからわざわざ見に来ないでしょ」
時期によって、トレンドも変わるのが吹き流し作りの難しいところ。それすらも山村さんは楽しみに変えてしまうのです。
「昔はシンプルなデザインでも、みんな『きれいだね』って喜んでくれていたんですよ。でも、ある時から吹き流しに鶴や花などの飾りを付けないとお客さんが満足しなくなったんです。作り手としては難しさもあるんですが、デザインの幅が広がるので作るのがもっと楽しくなってね。デザインを考えているだけでも楽しいですよ」
目標を達成するため、後継者の育成にも力を入れる
山村さんは吹き流しの制作とともに、後継者を育てるため、指導者としての活動にも力を入れています。
「10年ぐらい前にはアメリカのロサンゼルスにも行って教えましたね。3年くらいは続けてロサンゼルスに行きましたかね。いまも修学旅行生や地域の子供たちに教えてますよ」
その大きな目的は、仙台七夕まつりのよさを伝えるため―。そう山村さんは胸を張って答えてくれました。
「各地で七夕祭りが開催されていますが、仙台七夕まつりの吹き流しはすべて和紙なんですよ。他ではビニールやナイロンなんかも使われてますけどね。触らないと分からないんですが、和紙って暖かいんですよ。もし仙台七夕まつりにいらっしゃった際は、見るのはもちろんですが、ぜひ触ってみてくださいね」
今年の8月に米寿を迎えた山村さん。一般的には、定年退職をして老後を楽しんでいる同年代が多いはずです。そんな方々と共に老後を楽しみたいとは思わないのでしょうか。
「七夕の吹き流しを作るのが楽しいですからね。ゆっくり老後を楽しみたいなんて思わないですよ。むしろ、3日も休みがあるとダメでね、長期休みの時は自宅に持ち帰って作業をしないと落ち着かないくらい。それくらいもう人生の生きがいなんですよね」
吹き流し作りをこよなく愛す山村さんに、最後に一つだけ気になることを聞いてみました。
―今後の目標はありますか?
「やり切った感じもあるんだけどね、もっと大きい吹き流しを作りたいかな。仙台七夕まつりでは目線の高さの4メートルって規格内に納めないといけない。だから仙台にとどまってちゃダメよね。県外とか海外に目を向けないと。でも、海外に行く気力はないから意志を継いでくれる若い子を育てて、私は100歳まで生きていたいですね(笑)」
