手に職を付ければ、場所を問わずに働ける

千葉県の南部に位置する大多喜町。山々に囲まれたこの地の一角に柴田さんの姿がありました。「チーズ工房【千】sen」。自身の名前を冠した、小さな小さなチーズ工房です。
「大多喜という地で、大多喜産の乳酸菌を使って作るチーズだからこそ意味がある」─そう語る柴田さんが、チーズの世界に足を踏み入れたのは、ひょんなことがきっかけでした。
「高校3年生の時に小論文を書く授業があって。もともと食べるのが好きだったこともあり、料理人になろうとも考えていたので『食』にテーマを絞ったんです。その中で分かったのは、戦前はまだ食品添加物もなくシンプルな暮らしをしていたということ。添加物を使用しなくても保存性の高い食品を調べたら、『発酵』というキーワードにたどり着いたんです。それで、毎日30グラム食べ続けても負荷のない発酵食品を調べたら、第1位が『チーズ』でした。もし、みそが1位だったら、今頃みそを作っていたかもしれないですね(笑)」
料理人の夢はきっぱり諦め、チーズに身をささげることを決めた柴田さん。高校卒業後は、千葉県の実家を飛び出し、北海道にある農業大学に進学しました。そこで食品科学に関する基礎などを学び、北海道のチーズ工房に就職したのです。
「周りの同級生が名だたる食品メーカーに就職を決める中、私だけチーズ工房に見習いで働くって言ったら、同級生も教授もポカーンですよ(笑)。『本当に正しい選択なの?』って考えた結果、『大きな企業の歯車の一つになって働く時代は終わったよな。それなら、定年のない職人仕事をすれば、場所を問わずに働ける。そっちの方が、絶対に面白いじゃん』って」
自分が活躍できる場所で勝負
そうして、北海道にあるチーズ工房で見習いとして働き始めた柴田さん。ここで経験したある出来事が、後の彼女の人生に大きな影響を与えることになりました。
「そこの工房で作ったチーズをスイスのチーズコンクールに出品する機会があって、たまたま私も同行させてもらったんです、“かばん持ち”として(笑)。そうしたら、そのチーズが日本で初となる金賞を受賞したんです。それを見て『かっこいいな、素敵だな』って思ったと同時に、『将来は自分で工房を立ち上げ、自分で作ったチーズでこの舞台に返って来るぞ』って心に誓いました」
2年半でそのチーズ工房を退職すると、今度は世界を視野に入れ始めます。目を付けたのは、酪農王国でありチーズの本場でもあるフランスです。
「当時は、日本で修行したら海外に行くのがトレンドでした。要は、海外で修行をすると箔(はく)が付いて評価をされる、みたいな。職人世界の独特な風潮かもしれませんね」
フランスでの1年に及ぶ修行を終えて帰国した彼女は、目標の一つだった独立に向けて本格的に始動します。しかし、意気揚々と北海道に戻った柴田さんでしたが、出鼻をくじかれる事態に直面するのです。
「北海道には広大な牧場を持っているチーズ工房が、すでにたくさんありました。そこで気付いたんです。『自分が活躍する場所はここじゃないな』って。ちょうど同じタイミングで父親の体調が悪くなり、家族のそばにいるのも親孝行の一つだと思い、北海道ではなく大多喜というこの地でチーズ工房を立ち上げようって。そうして2014年にオープンしたのが、『チーズ工房【千】sen』なんです」

世界を見据え、誰もやっていないことに挑戦
チーズ工房の立ち上げは通過点にしか過ぎません。柴田さんが目指すのは、世界で通用するチーズを作ること。その目標を達成するため、彼女はあるダイナミックなチャレンジをしていたのです。
「微生物のことを学ぶため、微生物研究所で働き始めました。というのも、微生物について知らなくてもおいしいチーズは作れる。でも、より付加価値の付いたチーズを作るためには、微生物のことも知っておいた方がいいかもしれない。世界のあの舞台に立つには、他の工房と同じことをしていてはダメだなって」
もちろん、微生物について精通したところで、付加価値の高いチーズが作れる確証はありません。でも、他のチーズ工房との差別化を図るためにも、当時の彼女には必要不可欠な要素だったのです。
「広大な放牧地もない関東の工房で“世界を取る”には、強みとなる個性を身に付けないといけないぞ、と」
すると、「チーズ工房【千】sen」を立ち上げてから2年10カ月後、目標の一つであった「日本一」の称号を手に入れることになるのです。
「第11回 ALL JAPANナチュラルチーズコンテストで、最高賞となる農林水産大臣賞をいただきました。千葉の田舎で、この規模で、女性の私がこの賞をいただけたことを誇りに思います」
そして、その2年後に当たる2019年10月、念願だった世界の舞台であるWorld Cheese Awards 2019でブロンズラベルを獲得。修行時代に抱いた大きな目標を達成しました。
「今後の目標は、まずは世界の舞台で金賞を取ること。そして、チーズを日本の文化にすること。ワインなどと一緒に食べるのではなく日本酒に合せるなど、漬物くらい身近な食べ物にするのが目標です」
