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Monthly FACE 〜極める人々〜

柴田千代さん(チーズ職人)

Profile

1989年生まれ、東京都出身。北海道大学農学部を卒業後、東京大学大学院農学生命科学研究科を修了し、大手広告代理店に就職。イベントプランナーとして活躍していたが、世界初のクラフトコーラ専門メーカーを立ち上げるために退職。漢方職人だった祖父の工房を改装したコーラファクトリーで、独自のコーラ作りに励む。現在は工房の隣に初の常設店をオープンさせており、出来立てのコーラが楽しめる。

コーラのフィールドから飛び出して戦いたい

世界中で愛されている飲み物として思い浮かぶものといえば、コーラ。とはいえ、一口にコーラといっても、実際には各国にさまざまな種類のコーラが存在しています。その中でも、世界で唯一のクラフトコーラとして人気を博しているのが、東京・下落合で誕生した「伊良コーラ(いよしコーラ)」です。手掛けているのは、コーラ職人のコーラ小林さん。試行錯誤の日々とコーラに傾ける情熱について語っていただきました。

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「まずクラフトコーラというのは、基本的には小規模の工房で職人の手によって作られるもので、スパイスやかんきつ類といった天然の材料を混ぜ合わせてできたコーラのことです。もともとコーラというのは、1886年にアメリカのアトランタで薬剤師によって開発された飲み物。エナジードリンクとされていましたが、それがおいしかったので広まっていったんですよ」

自身がコーラにはまったのは、あまりお酒が得意ではなかったことがきっかけ。そのあとは、趣味の釣りと世界中のコーラを飲むために、30カ国ほどを回り、各国でオリジナルのコーラを片っ端から飲んでいったのだとか。

「コカ・コーラとペプシコーラしかない国もありましたが、いろいろな国で50種類くらいは飲んだと思います。ヨーロッパではこだわったコーラにも出合いましたが、どれもコーラのフィールドの内側で戦っているものばかり。だからこそ、『僕はフィールドの外に出たクラフトコーラで飲んだ人に衝撃を与えたい!』という思いで作っています」

人工の香料を使用しているオリジナルコーラに対して、クラフトコーラはすべて原料から作るところが大きな違いだといいます。コーラ小林さんがコーラの手作りを始めたのは、約5年前。偶然ネットで100年以上前に書かれたコーラのレシピを発見し、好奇心から作り始めることに。

「ある程度はおいしかったですが、感動を与えるほどのものではないなという感じでした。そのあとは会社から帰ってきてほぼ毎日作っていたので、数えきれないほど作ったと思います」

2年半ほど試行錯誤を繰り返していく中で、ブレイクスルーとなったのは、漢方職人であった亡き祖父が遺した資料や漢方作りの知識。

「それまでとはまったく違う味のものが完成したので、会社の同僚に飲ませてみると『お金を払ってでも飲みたい』と言われるほどの反応があったんです。そのときにもっと多くの人に飲んでもらいたいと思うようになり、すぐにフードトラックを作りました」

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2018年の7月には移動販売車「カワセミ号」で販売を開始。東京・青山のファーマーズマーケットでは初日から大行列ができるほど、大きな反響を呼ぶことに。

「一から自分で企画をして作ったものが価値を生み、皆さんに喜んでいただいた上でお金をもらえるという経験が本当に衝撃的でした。自分の中の価値観が変わった瞬間でもあったと思います」

失敗はあくまでも成功のためのデータ

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当時のコーラ小林さんは、大手広告代理店でイベントプランナーとして働いていましたが、会社を退職し、コーラ職人として生きていく道を選択。未知の世界へ飛び込むことへの不安はなかったと振り返ります。

「うまくシフトチェンジできたので心配もほとんどありませんでした。それよりも、『自分にしかできないことをやりたい』という気持ちの方が大きかったですね。過去にはタイミングを逃して後悔したこともあったので、やると決めたことは、とりあえずやってみるというのを自分のルールにしています」

コーラ小林さんが大切にしているのは、「直感を信じること」と「どんなこともポジティブに捉えること」。その積み重ねが、いまの成功へとつながる秘訣(ひけつ)にもなっています。

「あくまでも失敗は成功までのデータ。それが蓄積されることで、より成功に近づくことができるはずです。失敗から学びを得なければただのミスで終わりますが、そこから教訓を得れば、その失敗にも価値が生まれます。だから僕にとって失敗は“Not成功”なだけであって、それが積み重なって成功になると思っています」

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実際、何か問題が起きたときには、必ずすべてをメモ帳に記して、データをためているという。今後の目標は、国内で展開したあと、アジアやアメリカに進出し、全世界の人たちに伊良コーラを飲んでもらうこと。「クラフトコーラを使って日本文化を発信して、日本に恩返ししたい」というコーラ小林さんには、伝えたい思いがあるといいます。

「僕は小さい頃から得意なことが何もなかったので、『自分が生きている価値はなんなんだろう』という思いをずっと抱えて生きてきました。そんな中で、たまたまコーラと出合って、今まで自分の中にインプットしてきたさまざまなことをアウトプットできるようになったんです。だからこそ、今はコーラ作りを通して自分の人生を燃やし尽くすしかないなと。僕のように好きなことが一見、職業に結び付かないようでも、自分次第でできることがあるのも知ってほしいです」

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