手をかざして見るほどの思い

「漢字の“看”の字って、“目”の上に“手”があるでしょ。看板はもともと、お寺の軒下に掛けられていた大きな扁額(へんがく)が由来とされていて、遠くからでも、手をかざしながら『何だろなぁ』って読めるものだったんです。今でも日本武道館へ行けば、頭上に『武道館』って書いてあります」
そんな看板が広告として用いられ始めたのは江戸時代のころ。そのニュアンスは、「修行して一人前になったことの証し」へと変わり、親方から「独立していいよ」と認められて初めて看板を持てたそう。1カ月やそこらの板前修行では老舗の味が出せないため、口先だけの弟子入りを防ぐ“公認”の意味もあったと、坂井さんは言います。
「だから、相当な思い入れが湧いたんじゃないかな。看板の字を並べるだけなら、機械でもできます。でも、そこに、手をかざして見るような“心”がこもっているのかなと。落語家の襲名披露の看板なんかもね、名前を並べるだけじゃないと思って彫らせていただいていますよ」

手彫り看板は、基本的に「看板刀」といわれる1本の道具だけで仕上げるため、刃のすり減りが顕著です。材料として用いられるのは、主に日本産のヒノキやケヤキなど。同じ種類の木でも、外国産の木材は硬く、ひびや割れなどを生じさせやすいとのこと。看板刀そのものも、国産の木を彫る前提で発展してきました。
「100年も生きてきた樹木を扱うわけでしょ。我々よりも先輩なのにパパッと作っちゃったら木に申し訳ねぇし、人間の手が入っているとなじむ。なじむから、持ち主も看板に負けないくらい頑張ろうって長続きする。一方、機械で彫った看板は、下げるのも早い。そういうところが、あるんじゃないですかね」
古寺の扁額は、すでに何百年も掛かり続けています。プラスチックにはまねできないことを考えると、「材木になっても生きているから、木はありがてぇ」というのが、坂井さんの心境です。看板を触ってみて何かを感じるとしたら、木なんだと。そこが、看板彫刻師の“一番のこだわり”でもあるそうです。

区が認めた、平成を代表する職人
「家業を継いだのは、学校が嫌いだったから。これで、もう勉強しなくていいやって、おやじを手伝うことにしたら、前回の東京五輪ブームで街の景色がガラっと変わっていったんです。ピッカピカのネオンやら、てっとり早いアクリル看板なんかが増えてきましてね。ウチは木の看板しか扱っていないし、どうしたもんだろうと」
当時は若かったため、新しい仕組みに興味があったという坂井さん。しかし、父親から「まだ、彫りすらできていないのに」と指摘され、看板彫刻に集中したそうです。ところが、その数年後、師匠であった父親が亡くなります。受けた指摘は遺言代わり、二十歳そこそこで店ののれんを引き継ぐことになりました。
「一人前ってのは、この年になってもないねぇ。お客さんに喜んでもらえると『ああ、これでいいんだ』と思うものの、自分で平均点を付けるとしたら70点くらい。客筋も変わってきていて、小ぶりでアートな看板が増えてきたよね。ウチは何でも屋だから言われたら作るけど、来年こそは80点を目指そうと思って、ここまでやってきました」

手彫りの看板に「フォント」はありません。お店やお寺などに代々、受け継がれてきた独自の文字があるだけです。それを彫るのですから、手作業が大前提になります。新しい看板の場合、元になるデザインを持ってきてもらえれば「どうにかなる」とのこと。筆耕屋さんという文字書き職人と相談し、一度、紙に起こしてから確認してもらっているそうです。そんな坂井さんは2004年、「台東区無形文化財」の指定を受けました。
「かっぱ橋道具街が近いからね。この辺にはもともと、店舗に必要な道具を扱っている職人さんが多いんですよ。それで、台東区の役所の人が“町の文化として注目してもらおう”ってことで申請してくださったんです。なんでウチなんかがと思ったけれど、4代目のせがれもいるし、『まだまだ続きそうだなぁ』ってことで、指定をいただけたのではないでしょうか」
受け継がれてきた伝統を現在のニーズへつなぐ
最近では、開業祝いとか新築祝いといった、個人の看板ニーズも増えているとのこと。例えるなら「手作り名刺」のようなカジュアルスタイルの看板でしょうか。古くからの伝統と、現代風のニーズ。その両者を融合させるには、「つなぎ」という感覚が大切だと、坂井さんは言います。

「店舗主が開店の準備でこの辺に来て、そういえば看板をどうしようかなと。そんな方たちに支えられてきたんですけど、今はお皿にしたって、100円ショップで間に合っちゃいますでしょ。まだわかんねぇけど、何かをせがれにつながなきゃなんない。なんだろねぇ、木を彫る何かなんでしょうけどね」
そんな坂井さんへ、「もし、生まれ変わったとしたら、この仕事に就いていますか」という質問を投げ掛けてみることにしました。すると、「やっているだろうね」と即答です。職人は、決して楽とはいえないものの、仕事が形に残るからだそう。その一例が、50個を超える、谷中銀座商店街の商店看板です。
「せっかく資格を取っても、世の中が変わっちゃうと生かせないでしょ。なくなっていく商売も多いなか、そこを自分でつないでいくと、仕事が形として残る。木はプラスチックと違って、風化しても“味”になるんです。こんな商売だけど、『続けてきてよかった』と思っていますよ」
ネオンや看板に収納されている蛍光灯は、光りこそすれ、人の思いをともせません。一方、加工場に並ぶ「生きたシンボル」からは、並々ならぬパワーを感じます。木彫り看板の別名は「招木(まねき)」、まさに人を招く木です。果たして、木材という天然素材がそうさせているのか、それとも、職人の魂が溢れ出しているのか。答えは、木彫り看板をじかに触って確かめてみてください。
