土地の風がパイプを奏でる
「昔のパイプオルガンは、職人が“現地の教会”へ移り住んで設計、建造していました。地元の大工さんや金属加工職人、林業家らと協業していたのです。滞在中の食料も地元農家からの差し入れ。ですから、当時の人々にとってパイプオルガン製作とは、神から与えられた才能や作物を、再び神の元へささげるような行為だったのでしょう」
横田さんによると、そうして完成されたパイプオルガンの音色は、現地の人の発音に似てくるそう。もしかしたら「聞き慣れた音」というものがあり、無意識に取り入れてしまうのでしょうか。加えて、材料に使われる木材や金属も地の物ですから、地場にしかない音が生まれます。日本でも、一部のしょうゆや日本酒がそうですよね。大量生産品にない持ち味が、ヒトの遺伝子をくすぐる瞬間です。
「逆に大変なのは、必ずしも設計図どおりにいかないこと。あれ、この地方のナラは乾くと大きく曲がるぞと。だったら、織り込み済みで形を変えてみようとかね。確かに、昔のパイプオルガンを復刻していると、アレンジの形跡がうかがえるのです。そういうアクシデントも面白い」
横田さんが大切にしているのはオリジナリティー。「独自」という意味の他に、「起源」のようなニュアンスも含みます。これらは、遠隔地で作られたパーツを組み立てるだけのレディーメードにないエッセンスでしょう。もちろん、昔ながらのパイプオルガン製作法でしか、オリジナリティーは保てません。
バッハに支えられ、日本人女性に動かされる
「音楽は子供の頃から好きで、ピアノを習っていました。なかでもバッハに夢中になって、LPレコードを100枚くらい集めていたでしょうか。その解説書に、たまたま楽器制作者の事が書かれていたのです。そうか、楽器の作り手がいないと、あのバッハでさえも才能を発揮できないのか。『なるほど』という気付きでしたよね」
とはいえ、父親が銀行家だったこともあり、大学では経済を学んだと話す横田さん。そして、意外なことに、フィールドホッケーに打ち込んだのだとか。ところが、「上手な選手ほど、最初からうまい」と、持って生まれた才能のようなものを感じたそうです。だとすれば、自分の才能は何なのだろう。音楽が好き、モノの仕組みに関わる物理も得意、オモチャは昔から自分で手作り。だとしたら…楽器製作者ではないかと気付いた瞬間です。
「バッハが好んで作曲していたのは、教会の中で演奏するオルガン曲でした。10代といえば精神的に不安定な時期ですから、理屈なしに癒やされ、なぐさめられ、力付けられましたよね。ですから、自分の原点は18世紀の音楽なのです。そこで在学中に、現代的なパイプオルガンの建造手法から伝統的な手法へ切り替えた、辻宏氏に師事させていただきました」
ところが、現代の機械を用いて作る工房修行は3年で辞め、17世紀当時のパイプオルガンを一から手作業のみで組み立ててみたという横田さん。「自分のやりたい方向はこれだ」という確信を元に、改めて、アメリカのパイプオルガン建造家であるジョン・ブランボウ氏の門をたたきました。そこで5年間の修行の後独立し、カリフォルニア州立大学のアーティスト・イン・レジデンスとして、パイプオルガン復興プロジェクトを託されるような存在になっていきます。
「カリフォルニア州立大で指揮した手法が、ヒト・モノを全て現地で調達する『オンサイト・コンストラクション』でした。また、この功績が認められ、今度は、スウェーデン国立イエテボリ大学の客員教授に招かれます。私の存在がきっかけとなって、同大学にはオルガン芸術の研究だけを目的とした学部が発足し、ここでも6年という年月をかけて現地調達にこだわり、大きな楽器を完成させました」
そんな横田さんの元を、今では一番弟子に当たる加藤万梨耶さんが訪ねてきました。師に日本へ帰国し、拠点を構えようとさせたのは、若い女性の熱意だったのです。国内拠点の地に選ばれたのは、神奈川県相模原市の藤野地域。すでに「藤野芸術の家」や「藤野芸術の道」といった試みを街ぐるみで行っていて、芸術や文化に理解があり、才能豊かな移住者も集まっています。「オンサイト・コンストラクション」を進める上で、多士済々な環境は理想的でした。
古時計でも、刻むのは現在の時刻
「解明されていなかった昔の技術を今によみがえらせるって、“新しいコト”なんですよね。使われているクギ1本にしても、『なぜ、この形をしているのか』というところを詰めていくと、発見があります。金属の中に含まれている不純物にも、合目的な偶然があったりするのです。ですから、使用するすべての金属パーツは、原材料を選んで、炉で溶かして型に流し込むところから作っています。もちろん木工も、一枚の板から仕上げていきます」
昔の楽譜でも今、演奏したら、「今、そのときの音楽」といえます。アドリブ・即興などを交ぜれば、まさに新曲の誕生です。歌舞伎や落語などで古典が繰り返されることにも、同じような趣旨があるのでしょう。そうしたタイムリーな音楽が、その地にしかないパイプオルガンで刻まれるって、すごいことですよね。手段として使っている楽器がクラシックでも、表現しているのは現代なのです。
「統一規格品とは逆を行くという意味で、日本でもやっていけそうな手応えがあります。設計室でモノづくりをすると、『現場で予想外のことが起こらないようにする』という制限がかかりますよね。そのことを“品質”と呼ぶのかもしれませんが、逆に表現の幅が狭められてはいないかと。特定のアプリでしか聴けないコピー曲ではなくて、その場にいる全員で楽しみながら出来上がっていくオリジナル曲。そんなニーズに応えていきたいですよね」
金属を曲げることが得意な人、空気が漏れないような木の管を作れる人、大きなじょうごを楽々と動かせる人はいても、全体を指揮、把握する管理者がいないとパイプオルガンは生まれません。「資格者ほど、学んでこなかった周辺領域の知見を必要とする」というのが、横田さんの境地です。ぜひ、異業種の間に立って共同作業の核となり、全体が把握できるような視野を持ってみてください。