捨てることで残る文化もある

「一言で魚といっても、北海道と沖縄では種類が違いますよね。同じエリアにも川魚と海魚がいます。もともと和竿(わざお)は、特定の魚だけを狙ったローカル色の強い釣り具でした。極論すると、川口和竿なら川口の魚が釣れればいいのであって、全国共通品という発想はなかったのです」
山野さんによると、川口和竿は江戸時代から、農家の副業として発展してきたとのこと。当初は竿を作る専門職がいなかったことになります。考えてみれば、海のない立地で作られた竿が、海釣りで通用するはずもありません。そのくらいニーズの低い商品、いや、工芸品だったのでしょう。もちろん、リールやルアーが登場する前に確立された製作技法です。
「ところが商売前提であれば、『売れる竿』を作らないと食べていけません。世界でも通用するようなグローバルな竿を目指すとするなら、川口限定品から離れる必要があります。例えば、和竿の技術を生かしたポルトガル竿があってもいいと思うんですよ。ポルトガルの魚がじゃんじゃん釣れるような、独自の改良を重ねてね」

この話から連想したのは、外国人を日本に招待するテレビ番組でした。日本で直接、文化を学んだ外国人は、自国へ帰ってからそれぞれの工夫をしていきます。この姿を見て日本の職人は、「私たちの流儀ではない」と怒ったでしょうか。いいえ、むしろ、もろ手を挙げて喜んでいます。
「驚いたのは、すでに『TENKARA』が欧米の間で通用する言葉になっていたことですね。日本の『てんから釣り』は、竹竿と毛針と糸だけで釣るシンプルな方法で、リールやルアーなどを使いません。そんな手軽さが、世界的に見直されてきているのでしょう。他方で『WAZAO』なんて単語は、誰も知らないのです。ニーズはあるのに、ローカルな和竿にこだわっていると、置いていかれてしまいますよね」
卸や催事をしてきたからこそ見える景色
そんな山野さんは大学でシステムエンジニアを目指し、IT系の企業に就職したのだとか。父親から「家業を継げ」とは言われていなかったそうです。一方、転勤先の四国では釣りが盛んでした。そして、父親の作った和竿が、仕事の仲間内で大好評を得ます。改めて外部の目線から、和竿の魅力を知ることになった瞬間です。

「ところが、転勤明けで東京に戻ったら、父親が病気になりまして。仕事を辞めて修行に入ったものの、実家のローンが払えるほどの腕じゃありません。そこで、釣り道具の卸を平行して手掛けることにしました。たまたま埼玉県に本社を持つ大手釣り具チェーン店との付き合いがあったので、その頃は外回りばっかりでしたね」
そして、西暦2000年の訪れを待つかのようにやってきたのが、バス釣りなどに代表される「釣りブーム」でした。しかし市場は、初心者でも手軽に楽しめるカーボンロッドに傾いていきます。加えて、売る側にも世代交代が起きていて、「和竿の知識がない」店員が散見され始めてきました。
「あの頃は、百貨店の催事にも参加していました。『全国の職人展』みたいなコーナーを任されたのですが、何をしていいのか分からないから手探りです。その頃、自分の中に『川口和竿』という概念はなかったですね。和竿の文化が衰退していく中、どうやったら食べていけるだろうと、そのことばかり考えていました。リールが取り付けられるルアー釣り用の和竿も視野に入れていたほどです」
作る目線ではなく、売る目線でのブランディング
そんな山野さんの元に、たまたまインターネットに強い釣り客が訪れました。聞けば、英語の翻訳も頼めるそう。どうやら、構想していた「世界への門」を開くときが訪れたようです。しかし、「WAZAO」で検索されること自体が皆無。なんというジレンマでしょう。
「和竿は、使うと自然に釣れちゃうんですよ。縦に走る竹の繊維がセンサーの役割を果たすので、アタリに敏感です。魚が餌をつついている間も不自然に跳ねずそのままの状態でいてくれます。なおかつ、魚がかかった後でも、しなやかだからなかなか折れない。でも、ブランドとしてまだまだ確立していないんですよね」

そこで山野さんは、竿に入れる焼き印に一工夫、凝らしました。それまでの「竿昭作」ではなく、「山の」と入れたのです。あえて「野」としなかったのは、漢字が苦手な外国人対策とのこと。また、YAMANOの響きも、外国人にとって発音しやすい言葉でした。もちろん、現地の魚や釣り場の環境も踏まえて竿作りをします。YAMANOマークがある竿は、不思議なほどよく釣れる。そんな評判が今、世界中で広まりつつあるようです。
「モノづくりは日々の繰り返しですね。例えるなら算数ドリルのようなもので、何度も繰り返しているうちに上手になる。ですから、いかに算数ドリルを“続けられる環境”にしていくかが大切なのでしょう。あまり専門色が強いと新しいニーズに置いていかれますし、むしろオールラウンダーこそ伝統を生かせるコツではないかと考えています」
算数ドリルを解くのと同じように、竿作りに資格は不要です。ですが、材料である竹の管理や目利き、竿の製作、漆塗り、営業、催事、企画、情報発信、新しいニーズの取り込みなど、さまざまな「続けられる環境」の維持が待ち構えています。一見、大変そうに見えますが、全てを思いどおりにできる自在性も、大きな魅力の1つでしょう。やり方次第では世界が狙えるし釣れるということを、「山の印」が証明しつつあります。
