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Monthly FACE 〜極める人々〜

村上 塁さん(靴修理職人)

Profile

1945年生まれ、群馬県桐生市出身。アトリエきよみ代表/現代の名工。刺しゅうや機織り等の「文化の産地」である桐生市で、伝統的な刺しゅう方法である「横振り刺しゅう」による作品を60年以上にわたり制作。世界的ハイブランドの刺しゅうも手掛け、アートやファッションデザインの舞台でも評価されている。

絵から刺しゅうの世界へ

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「ミシンの針が筆に、糸が絵の具に見えたんです」

絵をなりわいにしようとしていた17歳のある日、スカジャン工場で見た光景。そこには、左右に滑りながら絵画のように糸を縫う針と、両手両足を使ってミシンを緻密に操る職人の姿がありました。感動した大澤さんは自身の直感だけを頼りに刺しゅうの世界に飛び込み、19歳で独立。伝統的な「横振り刺しゅう」で縫い込む、オリジナルの刺しゅうを作り始めました。

横振り刺しゅうとは、今日の業界で一般的になっているコンピュータ刺しゅうとは大きく異なる、職人の全身とミシン一つで縫い上げる技法です。ミシンの足元にはペダルとレバーがあり、ペダルの踏み込みでスピード、レバーの押し込みで針の振り幅を調節します。

「こんなにすごい技術なのに、当時の工場では職人の身分が低かったんです。そして本人たちの意識も低かった。だから、私が業界を変えなければいけないと思って」

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その後の刺しゅう業界は、昭和30年後半からコンピュータ刺しゅうがメインになり、横振り刺しゅうの文化は衰退してゆきました。そんな潮流の中、あえて横振り刺しゅうを貫いていた大澤さんは、周囲から「横振りなんて生きていけない、古いやり方だ」と言い放たれたこともあったそうです。

性別、年齢の若さ、そして業界の常識と外れた手法。さまざまな要素に対して反発がありました。しかし、大澤さんはそんな向かい風を逆に推進力にし、さらに燃え上がります。

これまで産業製品の一つでしかなかった刺しゅうを「作品」に昇華させたい。配色まで指定された指示書に従うまま縫うのではなく、自分の表現したいことを職人的技術をもって実現したい。横振り刺しゅうは伝統的な手法でありながら、この考え方は業界にとって全く新しいものでした。

自分の技術で勝負したい

「コンピュータ刺しゅうによる大量生産の世界では、価格の安さか、機械やソフトウェアの性能で戦うことになります。でもそれは、作ったものの値段を下げ続け、道具を新しく買い替えることの繰り返し。すなわち『資本を持つものが強い』ということになってしまいますよね。でも私はずっと、自分の技術で勝負したいと思っていました」

刺しゅう業界の風向きにあらがいながら自己を磨いていった大澤さん。「私は自分のジャンルを作る」と奮起し、結果的に業界の価値観をひっくり返す存在となりました。

大澤さんは、横振り刺しゅうにおいては技術以外にも大切なことがあると言います。

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「腕が物を言う、体一つで作るものですから、本人の感性やセンスも重要です。観察することを習慣にして、物の形を知り、構造を知り、立体で捉える必要があります。例えば生きた花を表現するんだったら、造花みたいになってはいけないわけです」

糸は、縫い込む方向によって光の反射が変わり、全く異なる表情を見せます。だからこそ、同じ色の糸を使いながら微妙な濃淡や明暗の表現をコントロールすることができるのです。大澤さんは、このことに誰よりも早く注目しました。

全てに職人の意図が宿るからこそ生まれる「個人差」は、大量生産の世界では「品質のバラつき」として排除されるべきものですが、圧倒的な技術と感性をもってすれば「その人にしか作れないもの」を生み出す重要な要素になるのです。刺しゅう業界で忘れられていたこの感覚を原点とする大澤さんの作品は、ドン小西氏や山本寛斎氏をはじめとする世界的ブランドのコレクションを飾り、刺しゅうの新境地として確立されることとなりました。

仕事にほれる、好きだから続ける

実は、大澤さんは30代のときに病を患い、左目を失明しています。しかし周囲にはその事実を隠していました。

「自分の属性を言い訳やセールスポイントにしないで、あくまで作品のクオリティで評価されることを貫きたくて。失明したときは『もう作れないかもしれない』と悩みましたが、担当してくれたお医者さんが『右目だけは助ける』と言ってくれたこともあり、もう一度やろうと思ったんです」

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ジャンルの開拓者の中には、ある程度成果を残した段階で現役を引退し、プロデュースに移行する方も多いはずですが、なぜ大澤さんは60年以上にわたって自らプレイヤーとして制作を続けるのでしょうか。

「ほれた仕事ですから。17歳の私は、刺しゅうのことを何も知らなかったのに、この仕事にはまってしまったんですよ。今でも私が作った物が欲しいと言ってくれるファンの方もいますし、いつまで続けられるか分からないけれど、いつまででも戦いますよ」

デザイナー、ジャーナリスト、学生、起業家…。刺しゅうギャラリーには、毎日のように多様なバックグラウンドを持った人々が集まります。彼ら彼女らを惹き付けるのは、いつまでも成長と学びを止めず、第一線で活躍し続ける大澤さんの哲学。そして、長年の経験と豊かな表現力に裏付けられた「本物の技術」です。

好きだから続ける、というシンプルなモチベーション。「勝手に生きてきた」と笑う大澤さんの生き方と作品は、人を呼ぶ目標地点となり、またここから人が羽ばたく出発地点にもなっているのです。

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