クラブ・エス ウェブマガジン

Monthly FACE 〜極める人々〜

石井芳和 おあつらえ足袋仕立て職人

Profile

1951年生まれ、東京都出身。足袋を製造販売する「向島めうがや」の5代目で、創業は1867年になる。商業高校卒業後、貸衣装も扱う呉服商に勤めてから実家の後を継ぐ。墨田区登録無形文化財、東京都優秀技能者(東京マイスター)知事賞、墨田区伝統的手工芸技術保持者など数々の表彰を受けている。

仕事はあるが、職人がいない

イメージあつらえの足袋は、一人一人に向けたオーダーメイドです。しかし、「足の形に合わせればいいとも限らない」と、石井さんは話します。例えば、外反母趾(がいはんぼし)の足形を忠実に再現すると、かなり“いびつ”な足袋になってしまうでしょう。むしろ既製品の方が、その人にとって歩きやすいこともあるのだとか。他方で、踊りの師匠さんなどの足袋には「足に吸い付くような機能性」が求められます。とはいえ、踊りの師匠さんが普段でも「足に吸い付くような足袋」を履いているかというと、そんな窮屈なことはしないと思います。

「足袋には、いろいろなシーンがあります。それが“あつらえ”であって、必ずしも足の形を指すものではないのです。そのシーンを会話から連想することが足袋づくりの要になります。もちろん、お客さんから『ぴったりした足袋が欲しい』という要望はあるものの、少し緩めの方がいいのかなとか、あるいは指先でしっかりグリップできる方がいいのかなとか、その辺のニュアンスになると“お任せ”ですね。こうした数字に表れないお任せが、足袋の満足度を分けると言ってもいいでしょう。そして、それが職人の責務でもあります。」

イメージ石井さんによると、お任せを察するのは「勘」だそうです。お客さんの目を見ることで、伝わってくるものがあります。勘によってお任せを見極めて満足していただくのが、足袋職人にとって最大の醍醐味(だいごみ)とのこと。お客さんに「この店なら大丈夫」と実感してもらえるのは、職人の人柄なのでしょう。人柄による信頼感があるから、いまだに「向島めうがや」は続いているのでしょう。もちろん、技術的な素地も欠かせません。足袋は、採寸と約26箇所のチェックをもって完成する「平面の型紙」から立体的に縫製していきます。考えてみれば不思議で、ほかに類を見ない複雑なつくり方といえるでしょう。

「ただ現在では、あつらえる同業者がかなり減ってきましたよね。新規顧客1人のオーダーを取るより、多くの既製品を売っていた方が効率的なのでしょう。修行も厳しいですしね。ですが、あつらえたいと望むお客さんは一定数いらっしゃいますので、おかげさまで多くのお問い合わせがあります。もし、足袋づくりをやりたいという若い人がいたら、今がチャンスかもしれません。当店の事情に限れば、忙しくて既製品をつくる時間が十分に取れないくらいです」

かつては、既製品の扱いがメインだった

石井さんが子どもの頃の向島は、花柳界にいきおいがあるにぎやかな土地柄でした。そして、多くの人が着物になじんでいたにも関わらず、向島で足袋を商っている店は同店だけという状況。ですから、子どもながらに「随分、この店は忙しいんだな。跡を継いでも、仕事に困らなそうだ」という印象を持ったそうです。江戸時代から続く老舗という重みも、当然にして感じていました。

「その頃の業務の中身は、皮膚感覚ですが、『既製品8割、オーダーメイドのあつらえ2割』といったところでしょうか。足袋の製作工程の一部を外注に出していて、つま先を立体的に縫い上げる「つまミシン」は有していませんでした。採寸や型紙づくり、生地の裁断・縫製の一部は自前でやっていましたけどね」

イメージ ところが、いざ跡を継ぐというタイミングになると、日常的に着物を身につける人が少なくなり、花柳界そのものも少しずつ下火になってきました。そうなると当然、仕事は減ります。加えて、足袋の製作工程を「全て自前で完結できない」という欠点があぶり出されてきました。そこで、つま先加工に限らず、どんな技術が世の中にあるのか知りたくて、実家から出て修行を積もうと考えた石井さん。そのとき、たまたまハローワークに求人を出していたのが、当時の規模で服飾系では有望な呉服店でした。

「社会人として右も左も良くわからないまま入社したので、商売人のイロハを学ばせていだきました。それから6年くらい後でしょうか、『そろそろかな』ということで実家に戻ったのですが、足袋作りの技術もほとんどなく、それこそ一からのスタートでしたね。日常的に行う縫製仕事の合間に、営業活動も続けていました」

イメージ そうした中、「江戸職人の実演をデパートの催事コーナーで見せられないか」という企画が、日本各地で始まりました。店舗から離れられない父親の代わりに石井さんが参画した結果、少しずつ顧客の増加につながったそうです。そのことでさらに仕事に打ち込めるようになり、つまミシンでの加工を除けば、ほとんどの仕事ができるようになっていきます。ところが、肝心のつま先加工をお願いしていた外注先が、そのタイミングで廃業してしまいました。

つくって売って食べていく職商人魂

イメージ「足袋づくりの全工程を自前でやろうと考えたのは、そこからです。そこで、貴重なつまミシンをなんとか1台だけ購入しました。ただし、おやじも私も『他人に頭を下げて教わるような気質』ではありませんから、独学で技術取得しました。私自身、おやじに内緒でもう1台買い求めて、仕事が終わった後に練習したものです。今でこそ、あつらえが7割といったところですが、元からそうだったわけではないのです。時代の流れが、業務の中身をオーダー中心に変えていきました」

オーダーでつくるということは、足の型に限らず、足袋に「目的を持たせること」もできます。石井さんは今、医療用サポーターのような足袋を開発しているところです。既存の靴や靴下と違って足指の股があるので、足の不自由な方にも好評を博しています。足首を「こはぜ」という金具で締めるので調整が可能ですし、履いているうちにずれてくるようなこともありません。ほかにも、整骨院の先生と相談しつつ、外反母趾矯正用の、細身の足袋なども手掛けるようになりました。

「資格ですか。“とりあえず取得する”という発想はとんでもないことで、一生、やり続けることが大前提です。おやじは常に、『足袋づくりは一生かかっても無理で、二生かけてものにする』と言っていました。今になって実感しますよね。お客さんにとって自分の期待が形になる品は、そうそうありません。この状況は職人からすると、仕事に欠かないことでもあります。場合によっては、注文になかった一工夫を心意気で加えたりしてね。総じて、『これでヨシ』という終わりはないです」

経営者自らが作り手でもあることを「職商人」(しょくあきんど)と呼ぶそうです。職商人の心意気があるからこそ、注文になかった一工夫でも「余計なお節介」にはならないのでしょう。やはり、資格を取ってものづくりしているだけでは不十分で、使う側の気持ちになれるかどうかが問われます。ぜひ、職商人を目指してみてください。

イメージ