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Monthly FACE 〜極める人々〜

福田東久さん(人形作家)

Profile

1934年生まれ、東京都出身。衣装人形の名工として知られる津田蓬玉氏に師事。独立後は株式会社東久を設立し、人形作家として活動。86年には「古き良き時代の人形を保存し、後世に伝えたい」と「お人形歴史館 東久」を開館、館長を務める。96年には埼玉県伝統工芸産地功労者、2006年には関東伝統工芸士功労者(学識経験者)として表彰を受けている。また、テレビドラマの雛飾りの考証なども手掛ける。著書に「雛まつり 親から子に伝える思い」がある。

さいたま市の伝統産業

気付くか、気付かないか。

いくつもの人形店が軒を連ねるなど、「人形の町」として知られる埼玉県の岩槻。福田東久(とうきゅう)さんは、この町に約半世紀にわたって続く人形店「東久」を構える人形作家です。16歳の時に志した人形作家としての「道」――その後60年以上にわたって、一つひとつの人形に心を込めてつくってきました。

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「この人形はどんな人にもらわれていくのだろう。そして、だれに贈られるのだろう。場所は北海道かな、沖縄かな――そんなことを考えながら、手を動かしています。また、手づくりの人形というのは作家の名前が出ることもあり、ものづくりへの責任も重い。いいものをつくろう、という意識が強いんです。その分、手放す時は寂しいんですけどね」

福田さんが人形をつくる際の制作期間は、約10ヶ月。季節ごとの湿度や温度に合わせて、作業工程を組み立てています。その内の一つが「塗り」の作業。塗料の乾きやすい時季に塗った物とそうでない物とでは、仕上がりや人形の寿命に差が出るのだといいます。

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「人形をつくり始めた頃はね、ちがったんですよ。気候だなんて気にせずに、とにかく数をつくっていたんです。それこそ、1週間や10日でつくり上げることもありました。でも、だんだん、その道に入っていくことで気付き始めるんです。『あれ、思い通りにいかないぞ』と。ヒビが入ったり、頭の毛が抜け落ちたりということが起きてくるんです。人によってはね、ヒビが入ったりするのを『気候が悪い』なんて言いますけど、自分が悪いんですよ。その気候を踏まえた上で対策をしていくんです。そこに気付いて、高みへと挑戦していける人の成長は早い。でも、そうなると短期間でいいものがつくれる、ということはないんですね。これは不思議なんですが、人間の胎児と同じで生まれるまでに約10ヶ月掛かるんです。大切なのは、下手でもいいから数をつくってみること。失敗の中から、今までにないことを覚えていきます。そうすることで、経験が豊富になっていくんです」

『売れればいい』では、だめ

気候と同じように、人形づくりにおいては自分の体調が如実に表れると福田さんは話します。体調がすぐれない時につくった物は表情が暗くなり、元気がない。反対に、体調がいい時につくった物はいきいきしている、といいます。

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「自分のつくった人形を見れば、それがどんな時につくったものかがわかります。気候の話もそうですが、失敗を失敗と気付けないことには、いい仕事は出来ません。ただつくって『売れればいい』では、だめなんですよ。いい人形にならない。

ひな人形や五月人形に代表されるように、日本人形というのは人に贈られるものです。子や孫の健やかな成長を願って、ひな人形や五月人形を贈る。そこには大切な人への思いが込もっているんです。見る人の心を惹き付ける、いい人形をつくりたいじゃないですか。温かい思いが込められた人形を飾ると『ああ、自分のために贈ってくれたんだ』と、見る度に幸せな気持ちになれますからね。両親や祖父母・友人らの思いを受け取り、それに感謝出来る人間に育つきっかけをもたらすのも、人形が持つ力の一つだと思います」

伝統を受け継ぐことの意味

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人形作家であり、日本人形のコレクターとしての顔も持つ福田さん。1986年には「古き良き時代の人形を保存し、後世に伝えたい」と、「お人形歴史観 東久」を開館しました。「東久」の工房に隣接する同館には、江戸時代の末に岩槻で考案された裃雛(かみしもびな)をはじめ、童(わらべ)人形、能人形など、福田さんの4000体以上に及ぶ貴重なコレクションの一部を展示しています。

「元々は、私の師匠から『いい人形をつくりたいなら、昔の人形を見なさい』と勧められて買ったんです。すると、その人形を見た人たちが『すごい!』と喜ぶんですよ。それで、どんどん集めるようになった(笑)。昔の時代の人形のすごいところは、今のように明るい照明もない・ミシンもない、そんな環境下にも関わらず、今の時代まで壊れることなく現存するようなものをつくっていた、ということなんです」

時代を超えて飾られ続ける人形。福田さんもまた、伝統文化としての日本人形づくりを受け継ぎ、長きにわたって飾られる一体をつくり続けています。

「伝統工芸である以上、受け継ぐことが重要なんです。新しい要素を入れるのではなく、伝統をいかに正確に伝えるか。たとえば、昔の日本の『美』。女性の黒髪や、伝統的な日本の色・柄を用いた衣服、日本人の作法。美しいそれらを、人形を通して後世に伝えていく役割があります」

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福田さんは、新しく人形をつくるだけではなく、持ち込まれた人形の修理も行っています。

「いい物は、何百年と大事にされるんです。もちろん経年によって傷みはしますが、修理してでもその人形を飾りたい、という人がいる。今では存在しない作家のつくった人形が、今なお大事にされ続けている。人形作家としては、最高にうれしいですよね。それ以上にうれしいものはないですよ。私もこの時代において、そういう人形をつくっていこうと」

「でもね」と、福田さんは続けます。

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「いい人形一つつくるにも、それが踊っているものなら実際に踊りの舞台を見に行ったりすることが大切ですから。想像じゃなくて、いろいろな経験が必要なんです。そう考えるとね、時間が足りないよ」

伝統を受け継ぐ、円熟の指先。齢80を前に、その道の先を目指して歩み続けます。

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