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Monthly FACE 〜極める人々〜

真山亜子さん(声優)

Profile

1958年生まれ、岐阜県出身。声優として、数々のアニメーション作品や海外ドラマなどのふきかえを担当している。主な出演作は『ちびまる子ちゃん』(杉山さとし)、『忍たま乱太郎』(乱太郎の母)、『ER緊急救命室』(看護師ヘレエ)、『E.T.』(E.T.)など。そのほかにも『ONE PIECE』『名探偵コナン』『ドラえもん』など人気作に多数出演。クローン病とベーチェット病という難病を患っており、ブログや紙芝居公演などで、その認知度を高めるための活動もしている。「日本オストミー協会」会員、「ブーケ 若い女性オストメイトの会」スタッフ。

ブログ「ストーマちゃんのつぶやき」

父の反対を押し切って目指した、芝居の道

テレビアニメ『ちびまる子ちゃん』の杉山君とブー太郎のお母さん、映画『E.T.』のE.T.(2代目)など、多くの人が頭に浮かぶであろう「あの声」の人――それが、声優の真山亜子さんです。27歳でデビューして以来、アニメや映画など数々の作品に出演している真山さん。そのルーツは小学生の頃までさかのぼり、当時から演劇に親しんでいたほかにも、歌手の森昌子さんや山口百恵さんらを輩出したオーディション番組『スター誕生!』(日本テレビ)を見ては、ほうきをマイク代わりに歌っていたといいます。

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「役者になりたくて、大学進学と同時に地元の岐阜から上京しました。4年次には誘っていただいた劇団に入ることになったんですが、元々は卒業と同時に実家の陶器商で働くことになっていたので『後1年だけ』と父にお願いしたんです。でも、結局ダメで、父がトラックで東京まで迎えに来ました」

ここからは、ドラマのような展開に。引越の準備をしていない真山さんは「荷物は後でいい」というお父さんの気迫に押されてトラックに乗り込みますが、なんとか逃げ出そうと思考をフル回転させます。

「『劇団に大事な物を忘れちゃったから、最後に寄って』と。もう、そこから一目散に劇団の稽古場まで走っていって(笑)。おかしい、と気付いた父が追い掛けてきたんですけど、その後は劇団員のみんなが説得してくれて。もう、多勢に無勢ですよね。結局、父の反対を押し切って東京に留まることになりました」

当時を振り返り「とりつかれていたとしか思えない。ただ、芝居がやりたかった」と話す真山さん。劇団員として活動していた数年後、アニメーション制作会社の近くにある飲食店でアルバイトしていた際に「声がおもしろいから、声優やってみれば?」と関係者から声を掛けられます。

「声優っていっても、やったことないし……と思いながらも、近くに養成所があったので見に行ってみたら、受講料が高いんですよ。いや〜無理無理、なんて思っていたんですけど、それから少し経って病気になってしまい、手術をして大変だったんです。このまま舞台を続けられるのかなという思いもあり『プロの方がおもしろいと言ってくださるんなら、やってみよう』と」

努力が実り、初のレギュラー出演へ

こうして、声優としての道を歩み始めた真山さん。最初の頃は、メーンの役が喫茶店などに入った時に聞こえてくる他の客の声――通称「がや」と呼ばれる部分などを担当していました。

「当時は、それすらも何を話せばいいのかわからなくって。『がや』の部分の台詞は台本にないんですよ。だから、先輩たちを見ながら、何を話しているんだろうって勉強して。ほかにも、『がや』の参考になるような喫茶店やスーパー、銀行などに行って、実際の会話を聞くようにしていました。あとは、猫とか鳩の鳴き声を擬音でやらせていただく機会もあったので、えさをあげながら声を聞いて『くるっくー、くるっくー』なんて真似をしたり(笑)」

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努力の結果、約1年後にはテレビアニメ『つるピカハゲ丸くん』でレギュラー役「ブス姉ちゃん」に抜擢。同作では千葉繁さん(『ゲゲゲの鬼太郎』のネズミ男ほか)や緒方賢一さん(『名探偵コナン』の阿笠博士ほか)、その後に出演したテレビアニメ『ガタピシ』では、田中真弓さん(『ONE PIECE』のルフィほか)など、名だたる声優陣との共演を重ねていきます。

「声優になって3年ほど経った頃に映画『ちびまる子ちゃん 大野君と杉山君』のオーディションに受かり、杉山君という役で出演したんです。両親が祖母と観に行ってくれて、父から『結構喋ってたじゃないか』って。それからというものの、父はサイン用の色紙を持ってくるようになりましたよ(笑)。父に反発して東京に残ったこともあり、どうにか物になりたかったので……良かったです」

病気との闘いと、ストーマとの共生

しかし、仕事が軌道に乗り始めた矢先、真山さんを病魔が襲います。

「関節炎がひどくなって病院に行ったところ、『ベーチェット病ではないか』と医師に言われたんです。別のところでは『クローン病じゃないか』と。その2つは症状が似ていてどちらかわからないので『両方申請しておこう』ということになりました。32歳の時のことです」

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クローン病は主に消化官に起きる原因不明の炎症性疾患、ベーチェット病は全身に急性的な炎症を起こす疾患で、どちらも国から難病に指定されています。その後、何度か入退院を繰り返し、役を降板せざるを得なかったことも。

「周りのスタッフにご迷惑をお掛けすることへの忸怩(じくじ)たる思いがありました。ストーマ(人工の排泄口)の造設手術から復帰した10年前には10数キロもやせてしまい、腹筋がなくなったことで思うような声が出せず……。当時の出演作品は、ちょっと見たくないというのが本音です。でも、代役の方を立てずに私のことを待ってくださった作品もあって、本当にありがたいです」

その後は声優業と並行して、ストーマをテーマにした作品の紙芝居公演などを行なうほかにも、ブログではオストメイト(ストーマを造設した人)としての生活を赤裸々に綴(つづ)っており、自身の病気やオストメイトの認知度を高める活動も行なっています。

もう一度、いい作品に巡り会いたい

最近、浄瑠璃の一種である「義太夫(ぎだゆう)」を習い始めた真山さん。観劇した文楽の「語りに惹かれて」という理由のほかにも「つねに自分をどこかで磨いておかないと」という気持ちがあるといいます。

「20代はわからないながらに一生懸命やってきて、30代前半で病気になったけどそこからの10年が一番忙しくって。でも、43歳の時にまた大きな病気をして…今はもう一度勉強の時なんです。でもね、本当、いつ声が掛かってもいいように自分を磨いておかないと、いざという時に声が出ないんですよ。私は病気をしている分、他の人よりも調子が落ちやすいですし。この先、もう一度いい作品に巡り会いたいんです。たくさんの人の『この作品を世に出したいんだ!』という熱のこもった作品。やっぱり楽しいじゃないですか、みんなが一生懸命になっている作品って。今もセミレギュラーで出させていただいている素敵な作品があるんですが、もう一度レギュラーで密な作品づくりに携わっていきたいです」

現在の自分について「今、ちょっともがいてる――そんな54歳」と評する真山さん。しかし、その表情には光があります。

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「自分の体の衰えって、ものすごく感じるんですよ。ああ、もう40代じゃないんだ、50代なんだって。でも、義太夫や語りのように、この歳で新しいことにチャレンジできるありがたみも感じていて。時々めげそうになって、もうダメだって思うこともたくさんあるんですけど、夫の存在やお仕事であったり、たくさんの人に支えられながら、そのせめぎ合いの中で『もうちょっと頑張ろう』って。60代になった時に、どんな自分がいるかなあって思うんですよね」

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