東京から札幌へ。地元への思い
「東京が、“夢”を叶えるのに一番の場所なら、地方都市は“現実”。僕は、夢からさめたんだと思います。そして、自分がこれから何を目指すのかを、新たに問われたんです」。美容師になって11年目を迎えた2013年の春、小田さんは故郷である北海道の札幌で事業を始めることを決意。25歳で代々木八幡にオープンした、自分の店という “夢の場所”を手放してまで決めたことでした。
「美容師を10年以上続けてきて、そろそろ自分の力で生まれ育った地元に貢献できないかと考えていました。それで約1年半の間、定期的に地元に帰省して、いまの札幌の姿を見てきたんです。そこで思ったのは『元気がない』ということ。自分がチャレンジすることで、もっと町を元気にしたいと思いました」
北海道には「個人事業主が多い。個人でやっている分、こだわりもあるんです」と小田さん。それにもかかわらず、それらの店を知ることができるメディア・広告物がほとんどないのが現状。ホームページを持っていない企業や個人店も決して少なくなく、「その特長やこだわりが町の人や取引先に伝わっていない状態を解消したい」といいます。
隠れた魅力を“ビジュアル”で伝える
そうして、2013年の11月に小田さんが北海道で立ち上げたのは、「Jpeg(ジェイペグ)」という“ビジュアルコンサルティング”サービスです。これは、21歳の時から生業としてきた美容師としての仕事と、長年の趣味が高じてここ数年はプロの写真家としても活動している小田さんの2つの特性を生かしたもの。ヘアメイクと写真を中心にした総合的なクリエイティブ表現で、よりよいビジュアルをつくり出し、企業や個人店・人・モノなど、さまざまな魅力を広告物などの各種メディアを通じて伝えていくという事業です。
「美容師で写真家」となると、「二兎追うものは一兎も得ず」という言葉が浮かんだ方もいるかもしれませんが、小田さんはプロの美容師に向けた講座の講師を務めるなど、美容師としての知識・技術は折り紙付き。写真家としても、著名なものでは2012年にフジテレビ系列で放送されたドラマ『GTO(ジーティーオー)』のポスター撮影を担当するなど、その腕は確かなものです。 そんな小田さんが北海道で新しく掲げた目標は「複合施設的な美容室をつくること。美容室を中心に、カフェやフォトスタジオ、雑貨や洋服の販売スペースがそろった、地域の“憩いの空間”をつくりたいんです」。
もっとたくさんの人の人生にかかわりたい
新天地に思い描く、憩いの空間―それは、小田さんが東京で開いていた美容室『HAKU(ハク)』でのサービスが、根底に流れています。アシスタントを入れない、マンツーマンでの接客。時間を掛け、コミュニケーションを大事にすること。ちょっぴり遅れ気味な柱時計。木のぬくもりを感じられる内装。一つひとつのこだわりには、小田さんの次のような考えがあります。
「美容室は、携帯電話も気にせず、そこでの空間・時間を楽しんでもらえる場所。美容師と話して心が落ち着いたり、楽しい気持ちになれたり、髪型を変えて心機一転したり。扉を一歩出れば現実に戻ってしまうわけですけど、そういう意味ではアミューズメントパークに近いのかなって。時計のない世界をつくるようなものだと思っています」
いろいろなことを忘れられたり、逆に一つのことに向き合える―そんな場所が、多くの人にとっての「HAKU」でした。結婚・失恋・転職・独立など、一人ひとりがさまざまな節目とともに、訪れる場所でもあります。
「こんなに会話ができるサービス業は、美容師ぐらいじゃないですか。こんなにも人の人生に寄り添える…嬉しいなと思います。目標にしている複合施設は、もっとたくさんの人の人生にかかわらせてほしいっていう、強欲さの表れです」と、笑いながら話します。
ほかにも、デイケアセンターや老人ホームでの美容サービスの展開など、スタッフとともに精力的に活動している小田さん。その原動力は、どこにあるのでしょうか。
「地元への思いもそうですし、あとは自分の力で人に喜んでもらえると、やっぱり嬉しいじゃないですか。何十カ所と老人ホームなどに足を運んで分かったことなんですが、どれだけ重度の認知症の女性でも、口紅を塗ったり、髪を切らせていただくと『ありがとう』と言ってくださるんです。すぐ忘れてしまう感情かもしれないけど、一瞬でもときめきが生まれるんです。
いま、老人ホームでは、無償で髪を切る代わりに下積みの美容師の練習台になっているような状態のところがあります。でも、ああいう施設にいる人たちは、これまで日本を支えてきてくれた人。それはどうなのかなって思うんです。先は長いと思いますが、人・モノ・企業をつないでいって、いろいろなことの根本を変えていきたいです」