地域の資源を再発掘する
東京都の西東京市・東久留米市・小平市などで発行されている地域情報紙「タウン通信」の代表・谷隆一さん。経営者としての顔を持つ一方で、現役の編集者・記者としても活動。近年は書籍の執筆も手掛けており、2015年3月には東久留米市で起きた市政の混乱を通じて民主主義の在り方を問うルポルタージュ『議会は踊る、されど進む~民主主義の崩壊と再生』(ころから刊)を出版しています。
谷さんが発行している「タウン通信」は、週刊で約10万部を配布。タブロイド判の4ページのなかには、配布エリア内の市政や地域で問題視されていることなどの硬派な内容から、近隣の行楽地や町のおすすめのお店、イベント情報まで、地域の話題を幅広く紹介しています。紙面のスペースが限られているなかで、どのような情報をピックアップするかについては「地域に対して目が向くようなものを選んでいます」。地域のなかにある資源を“情報”として再発掘し、人々に届けています。
「町で暮らしていても、知っていそうで知らないことが意外とあります。たとえば『全国公開の映画が地元で撮影されている』『ふるさと納税をした人に、地元産のハチミツをプレゼントしている』という記事を見て、『自分の住む町には、こういうもの(資源)があるのか』と。それらの記事が、自分の町に興味を持つ入り口になればと思います」
自分の進む道を見つけた瞬間
なかでも、「なるべく載せるようにしている」と話すのは、地域で活動する市民サークルのイベント情報や会員募集の案内。極端な話、都心の大型施設で開かれるようなイベントのほうが需要は高いはずですが、谷さんは「“マス(大衆)”という意味ではそうだと思います。でも…」と続けます。
「市民サークルの情報を載せているのは、その情報をきっかけに人々が地域に関心を持つと思うからです。たとえば“ダンスサークルの会員募集”の案内を見て興味を持った人が入会することで、地域での楽しみを一つ見つける。“子育て中の親が集まる会”の案内なら、町での暮らしが楽しくなる友人との出会いの場になりえますし、『近所の保育園がどこも入れない』という話題になれば署名を集めて議会に陳情しようという市民活動につながるかもしれません」
大学を卒業後、都心の広告代理店で働いていた谷さん。いまのような考えに至った背景には、「タウン通信」を立ち上げる前に働いていた地域情報紙での記者経験があります。
「広告代理店時代は、埼玉県の自宅には寝に帰るだけ。地域との交流はありませんでした。自分にとっては、まさに“ベッドタウン”だったわけです。でも、地域紙の仕事をして、人・店・市民団体・行政など、町のなかにある人々の暮らしや営みに初めて触れた。『町はこういう風に成り立っていたのか』と驚きました」
趣味のサークル活動を楽しむ人々、地域の景観を守ろうと有志で清掃活動を行う人々、町が暮らしやすくなるように議論を重ねる行政の姿―仕事だけに生きていた自分が知る“ベッドタウン”ではない町の姿を、谷さんは発見しました。
「町のなかには、人生を豊かにするものがいくつもある。でも、かつての自分のように、それを知らない人がたくさんいる。なぜかといえば、そうしたものを伝えるメディアがないからです。だったら、自分が知らせよう、知らせることを生業にしていきたいと。自分の進む道を、そのとき見つけたように思いました」
与えられたものを社会に還元する
地域情報紙の仕事を続けている谷さんが危惧しているのは、町への“帰属意識の低さ”による関心の低さ。冒頭で紹介した『議会は踊る、されど進む~民主主義の崩壊と再生』において、谷さんは2010年から2014年の間に「タウン通信」の配布エリアの一つ・東久留米市で起きた市政の混乱を取材しています。通年予算が成立せずに約388億円の予算を市長が専決処分する、市長や市職員が決算委員会を退席する、任期中に5度の市長への辞職勧告が決議されるなどの異常事態が繰り広げられました。
それにもかかわらず、大手メディアは騒がず、議会は不信任決議をせず、市長自身も辞職することなく、市長は4年の任期を満了。その間、市民が立ち上がることもありませんでした。さらに、2013年12月に開かれた、同市の次期市長選の投票率は34.55%で、過去最低の投票率を記録。町での暮らしに影響を与える、政治への関心の低さを物語っています。
「無関心を解消する何かがあるとすれば、その一つは“地域に愛着を持つこと”だと思います。サービスの行き届いた都市圏での暮らしは便利で快適ですが、その分、人と関わらなくても生きていける。しかし、交流がなければ自分の町に愛着を持てません。それが地域への関心の無さの一要因だと思います。『タウン通信』が、地域に愛着を持つきっかけの出会いや、コミュニティを生み出す役割を果たせれば」
地域情報紙をつくる仕事は“単なる仕事”ではなく、“自分なりの社会参加”だと、谷さんは話します。
「独立する前は、上司や町の人に『この間の記事はダメだった』『この間の記事はよかった』と、自分が書いたものに対してよく意見を言われました。メディアは影響力を持つ仕事なので、悪かったときに何か言うということはあるでしょう。かといって、読者が記者を褒める必要はないわけです。それにもかかわらず、あの人たちは褒めてくれた。でも、そういう他者との関わりが“編集者・記者としての谷隆一”をつくってくれたのだと思います。それから経験を積み、私は今、40歳になりました。他者から与えられてきたものを還元する立場にあります。人は、仕事でもプライベートでも、自分一人ではありません。他者と関わってきながら、育ててもらうものです。だからこそ、自分の住む町においても『関わらなくても生きていける』と思わずに、社会の一員として地域社会に参加してほしいのです。人々の交流が盛んに行われる社会になれば、一人一人がさらに成長し深まっていく。それこそが、豊かな社会だと思います」