「昔は田舎くさいものに抵抗があった」
満開の桜と、畑の脇を流れる小川。そして、人々を見守るようにそびえ立つ山々――女優・橋本愛さんが主演した映画『リトル・フォレスト 冬・春』のクライマックスで、神楽を踊る橋本さんらの背景に飾られていた“神楽幕”に広がる風景です。
幕の絵を描いたのは、映画の舞台になった岩手県奥州市衣川区に住む加瀬薫さん。画家として活動しており、水彩絵の具や墨を中心とした絵画作品を発表しています。加瀬さんは当初、撮影スタッフに現地の案内などをしていましたが、作品を見た美術班から声が掛かり、舞台美術を手掛けることに。「美術さんの人手が足りなかったんだと思います」と遠慮がちに話しますが、作品を見た人からは「リアリティのある絵だった」という評価が。
「田舎の、素朴な風景を描きました。この大きなテーマは美術さんからのご指定です。昔は田舎くさいものに抵抗感があったんですけど、年を取ったからかな。そういうよさが、なんとなくわかるようになってきたんです。血に染み付いているものがあるんでしょうね。リアリティがあると感じていただけたのなら、そういう部分が自然と絵に出たのだと思います」
岩手県の内陸南部に位置する奥州市は人口約12万人(2015年現在)、県内3番目の人口を擁する地方都市です。加瀬さんが住んでいるのは奥州市のなかでも山あいのほうで、10軒超で構成される集落。若い頃は都会的なものが好きで、「田舎のゆるい感じやなれ合いがあまり好きじゃなかった」と振り返ります。
「学生のとき、一度仙台で暮らしていました。都会に住んでから地元に帰って生活していくうちに、時間の進み方や日々の暮らし方といった、この土地のいいところに気付くようになりました。以前、秋田でギャラリーを開いている人たちが自分の作品を見て『あか抜けないところがいいね』と言ったんです。そのときは田舎くさいってことなのかと抵抗がありましたが、それが自分の味なのかなと思えるようになってきました。よくも悪くも諦めというか。決してネガティブな意味ではなくて、受け入れるしかないものって生きているとあると思うんです。それこそ、血に染み付いているものは取り除きようがないので」
絵と、米と、イベントと。
今年に入り、加瀬さんは体調を崩した祖父から米農家の仕事を受け継ぎました。田んぼの広さは、1丁半(150メートル四方)以上。母や祖母とともに作業し、加瀬さんは力仕事を中心に担当しています。
「朝5時に起きて仕事を始め、休憩を挟みながら19時頃まで農作業。くたくたになって寝て、また朝起きての繰り返し。今年に入ってから、あまり絵を描けていないんです。そういう意味では、これも一つの“諦め”です。でも、祖父が大事にしてきた田んぼなので。本当は自分が育てたお米を見せてあげたかったんですけど、その前に天国に行ってしまいました。自分で一からやるのは初めてだったので不安でしたが、穂が出てくれて一安心しているところです」
くたくたになりながらも加瀬さんが目下取り組んでいるのは、10月に奥州市で開かれる「わっか市」というイベントの企画です。地元のNPO団体が主催する同イベントは、2014年に第1回が開催。ハンドメイドの作家や工芸職人、農家の人たちがそれぞれつくっているものを販売し、半日で700人が来客する盛況ぶりでした。
「地元の若い人たちで何かおもしろいことをしようと誘われ、企画の段階から参加しています。この辺りでは、大きいイベントでも200〜300人という規模なので、予想以上の反響でした。ゆくゆくは地元のお祭り的なものになればいいなと思います」
地域に“わ”をつくりたい
10月18日に第2回が開かれる「わっか市」。名前の由来は奥州市の頭文字である“O”と、出展者や来場者の間に“輪”ができればという思いが込められています。
「ハンドメイド系のイベントは、近年全国で開かれていますよね。でも、そういうイベントからもこぼれ落ちてしまう人っていると思うんです。見せる場所もなければ、大変さを分かち合う人すら周りにいないかもしれない。たとえ好きなことでも、自分も駆け出しの頃は寂しい思いやつらい思いをしました。
少しおこがましいですが、そういう人たちの力にちょっとでもなれればと思ったんです。出展する側も来場する側も、いろいろな人が楽しめるものになれば、地元で頑張ることに希望を持てると思うんですよね。自分が生まれ育った土地に夢とか希望とかがなくなってしまったら、それは悲しいですよ。つくり手の立場で言えば、『わっか市ですばらしいものを見たことで、自分もなにかつくってみようと思ったんです』という輪が生まれるようにしたい。奥州の町に、そういう空気をつくりたいんです」
イベントの回数を重ねることで奥州市ならではのカラーが出るようになれば、と話す加瀬さん。画家としての活動、米農家としての暮らし、イベントの企画――岩手では間もなく実を結ぶ稲穂のように、さまざまな苗がいま、加瀬さんのなかですくすくと育っています。