外に出て視野を広げることが大切
江戸漆器店「漆芸中島」が店舗兼工房を構えているのは、東京の下町として知られる中央区佃。創業300年近くの老舗で、現在の店主・中島泰英さんで11代目を数えます。中島さんが培った職人技で仕上げる「江戸八角箸」は、先代から受け継がれてきた本黒檀(ほんこくたん)や紫檀(したん)など、箸に使われることはほとんどないという貴重な木材を使用。その美しさと使いやすさが評判で、日本全国のほかに海外からも来客があるほどです。
「うちの親父が、漆だけじゃわからないから化学塗料も習って外を見た方がいいんじゃないかって。振り返ると、確かにその時の経験がベースになっていきました」
10代目にあたる父の仕事姿をそばで見て過ごした中島さんですが、そのまま家業を継ぐのではなく、中学卒業後に築地の漆器店などで3年ほど修行を積みました。
「修行していたときに尊敬する人がいた。渡り職人っていって、輪島から会津、山中へと渡り歩いて、それぞれの塗りを勉強した人なんですけど。当時は“仕事っていうのは盗むものだ”っていう親方なんかもいたなかで、その人は惜しみなく蒔絵(まきえ)のことから沈金(ちんきん)のことまで、どんどん教えてくれたんです。するとこちらも習得するレベルが全然違うんですよね。2〜3年でいっぱしの職人レベルの知識を身に付けました」
その後、18歳で家業の「漆芸中島」に戻り、父の後を継ぐことになった中島さんですが、“いっぱし”となった職人技だけでは解決できない、店の経営という問題に直面しました。
技を受け継ぐだけでなく、自分で仕事を生み出す
「景気が悪くなった時期もあります。うちの親父は職人だから、仕事を取る気持ちなんてさらさらなく、家業に戻って手伝い始めてから約3年経った頃、仕事が何もなくなってしまったんです。当時、弟も手伝うようになっていたので、自分が3人分稼がなくちゃいけないと、築地や合羽橋などいろいろなところへ仕事を取りに行きました」
ちょうどその頃、冷凍庫付きの冷蔵庫が発売されるなどし、寿司店でも現在では当たり前となった冷蔵・冷凍庫付きのショーケースなどが作られ始めていました。
「寿司屋で使われる漆器を作っていた自分は、店によく出入りしていた。そこで、寿司屋のつけ台に目を付けたらそれがニーズにマッチしたんです。合羽橋に武蔵屋さんっていう冷蔵・冷凍庫屋さんがあって、そこだけでもうちでは間に合わないくらいの仕事をもらいました。運もありますが、同じ仕事をするだけではなく、時代に合わせて改良をしていかなければいけないと思います」
このように中島さんは漆を本業にしながらも、時代の流れを読み解いてさまざまな仕事を手掛けてきました。何か新しいことを始めたり、物を作ったりするのに、時間はかからないといいます。
「とにかく実行あるのみ。職人なので、考えるより手を動かしていった方がいいんです」
お店のホームページでは、商品のインターネット通販も手掛けています。
「今うちが最高に幸せなのは、インターネット上でどんどん口コミが広がっていることです。リピーターの方が、お椀でも箸でも使ってよかったと言ってくれると、それを見た方が直に買いに来てくれるんです」
手間を掛ければ掛けた分だけ、応えてくれる
自然の素材であるがため、毎日コンディションが変わる漆。しかし、漆は人間と同じように手間を掛ければ掛けた分だけ、そのつやと美しさで応えてくれると中島さんは言います。
また、それと同じくらいこの仕事をしていてよかったと感じるのは、お客さんからのお礼の言葉をもらった時だそうです。
「箸にしても何にしても、お客さんが使ってよかったと言ってくれると、やっぱりこの仕事をしていてよかったと思います。自分が作った物を大事にしてくれるというのは、本当に喜ばしいこと」
「伝統工芸が年々廃れていくことへの寂しさはない」と話す中島さん。時代の流れと向き合い、普段の暮らしの中で長く使える物を作り続けています。
「『脳いっ血になってから今までいろんな箸を使ったけどダメで、私(「漆芸中島」)の箸を使ったらうまく使えて、こんなうれしいことはない』という内容の手紙が来たこともあります。自分では書けないでしょうから、奥さんか誰かが書いてくれたのだと思います。わざわざ手紙にして感謝してもらうっていうのは、うれしいですね」
そう話す声のトーンからも、その喜びや仕事のやりがいが伝わってきました。


