わずか2種類の品ぞろえでリピーターを生む
駅前にスーパーやドラッグストア、惣菜店など地元の人のための商店街が広がる東急池上線の長原駅周辺。そんな庶民的な雰囲気の町に、稲葉基大さんが3人の職人と共に営む和菓子専門店は静かに溶け込んでいます。
「この場所はもともとカフェで、僕がよく通っていた店でもありました。ある日、オーナーがハワイに移住することになったのですが、ちょうどその話を聞いたのが、独立しようか悩んでいた時で。オーナーに相談したところ、常連の僕になら…ということで、居抜きで借りられることになったんです」
2011年3月に、20年勤めた老舗和菓子店を退職し、その直後の4月に「wagashi asobi」を開店。近隣に住む人たちに“地元のお菓子”として愛されるよう、選りすぐった質のよい商品を並べたいという思いから、「ドライフルーツの羊羹(ようかん)」と「ハーブのらくがん」の2種類に絞って販売することに決めました。
「もともと、大きいとは言えないこの店できちんとしたお菓子を作りたいと考えていたのですが、らくがんはここで作るのにも向いていましたし、あまりなじみがなくても質のいい和菓子はお客様に喜んでもらえると思いました。らくがんは、実は自分でもそれまで買ったことがなかったし、周りの人からも『らくがんでは商売にならない』と言われていました。でも、きちんとした商品を作れば、必ず喜んでくれる方がいるという確信があったんです」
味のラインナップも独特。抹茶、イチゴ、南高梅(7月〜8月のみ。それ以外の期間はユズ)などなじみのあるものから、ローズマリー、ハイビスカス、カモミールのような、買い手の心をくすぐる味も。食べ比べをするため、何種類も買い求めていく人も少なくないそうです。香料や着色料は使っておらず、天然の風味が生かされた逸品。どれも口の中でほぐれた後、ホッとする味が広がり、“質のよさ”が感じられます。
思わぬ出会いから生まれた「ドライフルーツの羊羹(ようかん)」
「wagashi asobi」のもう一つの商品「ドライフルーツの羊羹(ようかん)」はどのようにして生まれたのでしょうか?
「ある展覧会で来場者向けにお菓子を提供していたのですが、その展覧会にいらした方から、『和菓子とパンで何かやりたいですね』というメッセージを頂きました。実はこの方、写真や音楽で表現をされるアーティストの方で、自らこだわりのパンも作っていたんです」
「パンにようかんというのは不思議に聞こえるかもしれませんが、あんを使うようかんは、いわば『あんパン』と同じ理屈。相性は間違いありません。あんパンがずっと愛され続けているように、ようかんとパンもたくさんの人に好まれると思いました」
さらに、パンと相性のよいクルミやドライフルーツのイチゴ、イチジクを入れ、それぞれサトウキビが原料のラム酒と黒砂糖を使用。味や食感の調和を図ることで、今やリピーターが絶えない定番商品が出来上がったのでした。パンと一緒に食べるときには、クリームチーズを塗った上に1センチほどに切ったこのようかんを載せるとおいしく食べられるそうです。
目の前にいる人を幸せにする和菓子作り
稲葉さんは、ほかにもイベントやお茶会などのために創作和菓子を作ってきました。また、テレビ番組の依頼でお菓子を考え、作り出したこともあります。和菓子の新たな可能性を模索しているようにも見えますが、実際はそう単純なことではないようです。
「僕たちは、新しいことをやりたいとか和菓子を変えたいという発想は全くないんです。どれも今までの仕事や修行先で学んだ技術や知識を使っているだけに過ぎません」。
思いがけない言葉でしたが、その後に続く稲葉さんの話からは、和菓子やこれまで和菓子を作ってきた人々への、稲葉さんの特別な思いが感じられます。
「昔から和菓子は、神様や仏様へのお供え物だったり、おばあちゃんが孫のために作ったり、農作業の合間のおやつだったりと、“誰かを喜ばせるため”に存在していました。そこに茶の湯のような文化が登場し、先人たちはいろいろな材料でたくさんの和菓子を作ってきました。つまり、僕たちは今まで携わってきた職人の技術や経験値を借りて仕事をしているわけです。ですから、今、僕たちが目指しているのは、いかに先人たちの歴史を守りながら、目の前にいる人たちを幸せにするか、ということ。これからも、2つのお菓子を大事にしながら、世の中のさまざまなことに刺激を受けつつ、和菓子を作り続けていきたいですね」