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Monthly FACE 〜極める人々〜

いとうせいこう

Profile

1961年生まれ、東京都出身。1988年に小説「ノーライフ・キング」でデビュー。1999年、「ボタニカル・ライフ」で第15回講談社エッセイ賞受賞、「想像ラジオ」で第35回野間文芸新人賞受賞。その一方で、宮沢章夫、竹中直人、シティボーイズらと数多くの舞台・ライブもこなす。また、2008年からは「したまちコメディ映画祭in台東」総合プロデューサーに就任。音楽家としても、現在は、ロロロ(クチロロ)、レキシ、DUBFORCEで活動。テレビのレギュラー出演に「オトナに!」(TOKYO MX)、「フリースタイルダンジョン」(テレビ朝日)などがある。

“したまち”から映画界の流れを変える

作家・音楽家・タレントと多方面で活躍中のいとうせいこうさん。作家、舞台やライブへの出演、みうらじゅんさんとの共作「見仏記」や「スライドショー」プロデュースに加え、ジャパニーズヒップホップの先駆者として音楽活動にも携わるなど、幅広い分野での活躍を続けています。そんないとうさんが、総合プロデューサーとして10年前から取り組んでいるのが「したまちコメディ映画祭in台東」(以下「したコメ」)です。

「したコメ」は、「映画(Cinema)」「したまち(Down town)」「笑い(Comedy)」を掛け合わせた住民参加型の映画祭。2008年に産声を上げ、芸術・文化施設の集積地域である上野と、日本の喜劇発祥の地・浅草を舞台に、台東区在住のクリエイターらが芸能・文化・歴史といった多角的な側面から「コメディー」を捉え、発信し続けています。

「もともと参加していた台東区のフィルムコミッションの会議で、どうすれば台東区へロケ地としての誘致ができるか、について話していたんです。そのうちに、『映画祭を開けば映画関係者が台東区に来てくれて、実際に現場を見てもらえる。それが誘致につながるんじゃないか』となったわけです。僕は、2005年まで行われていた『東京ファンタスティック映画祭』というイベントに携わっていたので、映画祭をやるためにはどんなメンバーが必要か、どんな準備をしたらいいかというノウハウがありました。そんなわけで、『東京ファンタスティック映画祭』の経験を生かし、台東区でも始めてみようということになったんです」

「したコメ」は、いとうさんがこれまで行ってきた、クリエイターとしての活動のすべてが詰め込まれているともいえる映画祭。映画評論家やコメディー映画に造詣の深い有名人によるイベントに加え、無声映画に名だたる声優たちがその場で声を当てる「声優口演」、脚本家やメーキャップアーティストによるワークショップ、音楽ライブなども行われています。「いとうさんが総合プロデューサーを務めるイベントなら」と、協力を申し出る人たちが年々増えているといいます。

「かつては、映画の宣伝担当の方から『作品をコメディータッチと言わないでほしい』という要望が入ることもありました。それが今では、コメディー映画祭である『したコメ』を応援してくれる人がたくさんいる。そして、映画界全体を見てもコメディー作品が増えているんです。つまり、トレンドが変わったんですね。この10年で『したコメ』は“流れ”を変えることができたんじゃないかと思っていますし、それは僕が目指していたことでもあります」

意外と細かい「総合プロデューサー」という仕事

「総合プロデューサー」とは、はたしてどんなことをしているのでしょうか。いとうさんは「実は意外に細かいことをやっています」と明かします。

「企画の内容も考えますが、座席の座布団はこれで座りにくくないか、と気を配ったり、映画祭全体をダイジェストで見せる予告映像を監修したり…。カフェのプロデューサーがコースターにまでこだわるように、現場で忙しく働いている人がなかなか気付きにくいことを提案する感じ。お客さんや出演者に対してどうしてあげると喜んでもらえるのか、ホスピタリティーについて考える仕事です」

こうしたことができるのは、今までいろいろな舞台を演出したり、出演したりしてきた、いとうさんだからこそ。作る側と見る側、両方の気持ちが分かっているからできること、といえるでしょう。

企画で大事なのは「意味を持っていること」

9月15日に行われる「前夜祭」では、浅草公会堂で「シネマ歌舞伎『め組の喧嘩』inしたコメ」が上映されます。これは十八代目・中村勘三郎さんによる平成中村座での最後の出し物となった作品。会場も芝居小屋さながらに演出されます。

「かつて“企画の天才”と言われていた、浅草の扇職人・文扇堂の荒井修さんという方がいらっしゃいました。『したコメ』にも協力してくれていて、勘三郎さんの平成中村座の実現にも尽力した方でしたが、勘三郎さんの後を追うようにして亡くなってしまったんです。今でも企画を考えるとき、僕は『修さんだったらどうするかな』と考えます。今回の前夜祭は、勘三郎さんへの追悼でもあり、修さんにも喜んでもらえるものだと思っています」

終演後には、浅草公会堂前がお祭り騒ぎになる仕掛けが待っているのだとか。そして、翌日からの本祭にも興味深いプログラムが多数用意されています。

総合プロデューサーであると同時に、クリエイターとしてさまざまなアイデアを出し、それを実現してきた、いとうさん。この10年で培われたことは、この先の未来へとつながっているようです。

「企画というのはただ考えればいいというものではなく、きちんと意味を持っていることが大事。そうすると、それがのちのち、伝説になっていく。これは修さんから学んだことであり、それこそが、ものをつくる面白さでもあると思います。今回は10年の集大成という意味合いがありますが、今度はここから全国に同じような映画祭を広めていきたいですね」