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Monthly FACE 〜極める人々〜

ドン・ブラウン

Profile

1974年生まれ、ニュージーランド・オークランド出身。1995年にオークランド工科大学を卒業後、日本語を学ぶため、同大学に再入学。ニュージーランドのテレビ番組制作会社で1年間働いた後、1999年7月に来日。大阪・河内長野市役所、東京・ニュージーランド大使館勤務などを経て、フリーの日英字幕翻訳者・通訳者に。最近の翻訳作品には『オトトキ』(監督・松永大司)、『あゝ、荒野』前編・後編(監督・岸善幸)、『ジョジョの奇妙な冒険 ダイヤモンドは砕けない 第一章』(監督・三池崇史)などがある。

泣きながら「日本に戻りたい」と思うようになるまで

ニュージーランドから日本に来て18年というドン・ブラウンさん。現在は、日本映画に英語字幕を付ける日英字幕翻訳者、そして国内の映画祭などの通訳者として活躍しています。ここ数年は、映画監督から指名を受けて翻訳をすることも少なくありません。そんなドンさんは、子供の頃から映画が好きだったそうですが、日本に興味を持つきっかけとなったのは、お父様のご友人の奥様だったと話します。

「彼女は日本人で、仕事で日本に行くこともありました。そんなときにはいろいろなお土産を買ってきてくれて、例えば表と裏、両方から開けられる筆箱とか、観光地のポスターとか。そのどれもが見たことのないもので、子供の僕には衝撃的でした。でも、そのころはまだ、日本に行ってみたいというほどではなく、行けるとも思っていませんでした」

高校生になると、映画祭や日本総領事館が企画した上映プログラムなどで日本の映画を見るようになりましたが、それでも強い来日願望はなかったそう。その気持ちに変化が訪れたのは、大学卒業後、日本語を学び始めてからでした。

「勉強を始めて2年目に、姉妹大学間交流で日本に行けることになったんです。滞在期間は2週間でしたが、その間にさまざまなものを見聞きし、帰国するときには、離れ難くて飛行機の中で号泣してしまいました。そして『早く日本に戻りたい』」と思いました」

念願の来日、そして日英字幕翻訳者へ

思いがかなったのは、帰国から1年後の1999年。JETプログラム(語学指導や国際交流などを行う外国青年招致事業)に参加し、ドンさんは大阪の河内長野市役所で働くことに。日本で社会人の経験をしたことは、翻訳者になった今でも大いに役立っています。

「来日後の生活は、思い描いていたイメージとは全く違っていました。でも日本の組織の中で働いたことは、翻訳者としていろいろな話や状況を理解する上で、いい経験になったと思います」

河内長野市役所で3年間働いた後、東京のニュージーランド大使館のスタッフを経て、日英字幕翻訳者になったドンさん。今の仕事に就いたきっかけは、映画が好きという思いから始めた「山形国際ドキュメンタリー映画祭」でのボランティア翻訳でした。

「最初は大使館で働く傍ら、メールマガジンやカタログなどの翻訳をしていましたが、ゆくゆくは字幕を手掛けたいと思っていました。映画祭では監督や制作関係者とお会いする機会があり、それが字幕翻訳者になる道へとつながりました。そして2004年、『東京国際映画祭』で上映された『レディ・ジョーカー』の英語字幕を担当することになったんです」

日英字幕翻訳者としてデビューを果たしたドンさんは、その後も映画を中心にキャリアを積んでいきます。

(C)Aude Boyer

若い頃見ていた映画の監督が目の前に!

さらなる転機が訪れたのが2013年。戦中から戦後にかけて活躍した映画監督・木下惠介と彼の母との家族愛を描いた作品『はじまりのみち』の翻訳者として、ドンさんに白羽の矢が立ちます。

「2012年の『東京フィルメックス』で、『木下惠介生誕100年祭』という特集上映があったんです。『東京フィルメックス』は翻訳者・通訳者として関わっている映画祭でしたが、木下監督の作品は観客として見に行っていました。それを映画のプロデューサーが覚えていてくれたんですね。翌年、『はじまりのみち』に英語字幕を付けることになった時、“木下作品に詳しい外国人翻訳者”ということで僕の名前が挙がったそうです」

その後、映画の配給会社、さらには映画監督から日英字幕翻訳者としてドンさんが指名されることが多くなり、それと同時に監督と直接会う機会も増えていったそうです。

「ニュージーランドで生活していたころに見た作品の監督とお会いすることもあって、思わず『若いころ、あなたの作品を見ました』と話しかけたこともあります。でも、何よりうれしいのは、僕を信用して仕事を依頼してくれることです」

大好きな作品に英語字幕を付けて、世界に発信したい

日英字幕の翻訳者として、たくさんの作品に関わってきたドンさん。それでもいまだに訳しにくいフレーズがあると言います。

「日本人にとって、ごく当たり前な言葉ですが、『よろしくお願いします』『お疲れさま』『いらっしゃいませ』といったフレーズは翻訳しにくいです。誰が誰に向かって言っているのか、場所はどこなのかなど、状況によってニュアンスが変わってくるので、こういうフレーズが出てきたときには、翻訳者というより脚本家のような気持ちで考えます」

また、今は英語より日本語を使う時間の方が長いため、日英字幕翻訳者としては、英語の感覚を意識的に維持する必要があるのだそう。そのため、ドンさんは韓国映画など海外の英語字幕付き作品を見たり、他の翻訳者が手掛けた映画を見て、自分が思い付かなかったフレーズをメモしたりしているそう。

最後に、これからのことについて伺いました。

「今は信頼し合える人と仕事ができて、とてもいい環境の中にいると思います。でも、僕が好きな作品の中には、まだ英語字幕が付いていないものもたくさんある。そういう映画を翻訳して、いろいろな国の人に見てもらえる機会が作れたらいいですね」

(C)Aude Boyer