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Monthly FACE ~極める人々~

ミシマ ショウジ

Profile

1962年生まれ、大阪府出身。20代は旅をして過ごし、30歳を前にしてパンと出会い、「ビゴの店」にてパンの基礎を覚える。阪神・淡路大震災を機に、長野県乗鞍(のりくら)高原の「ル・コパン」に移り、酵母を使ったパンを石釜のまきで焼きながら、数年間、山での生活を送る。関西に戻り、2004年、西宮市夙川に「ameen's oven」を開店。2008年、現在地へ移転。

カウンターカルチャーの影響を受けて

兵庫県神戸市の周辺は、知る人ぞ知るパン屋さんの激戦区。特に、夙川周辺は実力派のパン屋さんがそろい、遠方からも多くのお客さんが通います。そんな中で、ひときわ人気を集めるのが「ameen's oven」。かめばかむほど、おいしいパンを焼くミシマショウジさんは、とてもユニークな経歴の持ち主です。

「10代の後半にビート文学に憧れ、影響を受けました。ジャック・ケルアックの小説、『オン・ザ・ロード』のまねをして、西表島から北海道の根室までヒッチハイクで旅をしたこともあります。その後、アメリカ西海岸カルチャーやカウンターカルチャーの影響を受け、路上でオーガニック野菜などを売り始めました。日本ではまだ“オーガニック”という言葉も新しかった1980年頃のことです」

その後、ミシマさんはパンに興味を持つようになります。

「ある時、無農薬野菜と共に、京都・京北町にあるパン屋さん『ベッカライ・ヨナタン』のパンが売られているのを見つけました。それが天然酵母パンとの、初めての出会い。こんなパンがあるのかと驚きました。その後、僕はインドへ向かい、10年近くもインドと日本を往復して瞑想(めいそう)など内面の探究を続けましたが、30歳を前にして“自分の生きる糧を定めたい、あの『ベッカライ・ヨナタン』のようなどっしりとしたパンを焼いて生活をしたい”と決意。旅先のインドでもパンを焼く手伝いをしました」

帰国後、ミシマさんは当時、三宮にあったパン屋さん「ドゥースフランスビゴの店」で修行を始めます。フランス人のフィリップ・ビゴ氏は、日本においてフランスパンを普及させた第一人者と言われる人物。労働時間や給料など、条件面は厳しかったけれど、ミシマさんは「パンのためなら頑張れる」と思ったのだそうです。つらい修行の毎日では、パン屋になるという決心が揺らぐ瞬間もありました。

そんな中、1995年に阪神・淡路大震災が発生。ミシマさんの自宅も被災してしまいます。

「震災後の数カ月間、街全体が、神戸の街を自分たちの手で再構築していくんだ、という活力にあふれていて感動しました。水、食事、寝る所。不足しているものはたくさんありましたが、誰もが自分たちでなんとかしようと頑張っている。そんな中、パン屋は粉と塩と水さえあればどこでもパンを作れるんだと思い、改めてパン屋になる決意を固めたんです」

夙川にネット通販のパン屋さんをオープン

その後、長野県の乗鞍(のりくら)高原にあった「ル・コパン」での修行を経て、2004年に「ameen's oven」を開業。当時の店舗は、現在地から徒歩10分くらい離れた所にあり、ネット通販専門のお店でした。

「通販専門にしたのは、天然酵母パンは焼きたてよりも日が経つことによって熟成し、おいしくなるから。直接お店で売るよりも、通販に向いていると思ったんです」

「国産小麦や天然酵母パンの王道を歩みたかった」というミシマさんのパンは、口コミでじわじわ人気になりました。さらに2008年、ミシマさんはこれまでの店舗を閉め、カフェを併設した新しいお店へ移転します。

「店の近くに、1970年に建てられたレトロなアパートがあり、建物の1階を店舗として借りることができたんです。ここならカフェを併設できるし、あまりなじみのないハード系のパンでも、スープや野菜料理と一緒に楽しんでいただけるのでは、と考えました。建物を覆うほど大きなムクノキが2本あったのも魅力的でしたね」

ミシマさんがパンを焼くとき、「原則」にしていることが3つあります。それは、「自家製酵母でパンを焼く」「オーガニック、国産素材を使う」「旬を大切にする」。新たにパンを作る時はいつもこの三大原則から外れないように気を付けていて、「約束があることで、かえって新たな素材の発見につながったり、新しいパンの発想を得たりしています」と、ミシマさんは話します。

そんな中、2011年に東日本大震災が発生。またしても、ミシマさんに大きな影響を与えます。

「特に福島の原発事故は食の安全に関わることもあり、生産者への対応とお客さんへの対応を同時に迫られ、どちらからも深く考えさせられました。そうしたことから食への危機感を共有する農家さんや生産者とのつながりができ、被災地への支援やオーガニックマルシェなどのイベントも活発になり、周辺でも交流が広がっていきました」

パン屋としても、クリエイターとしても誠実に

そんなミシマさんに、今後やってみたいことや挑戦したいことを聞いてみました。

「来年には近所の新しい場所で『分福スタジオ(仮)』を始めます。小さな場所ですが、パン教室や発酵の教室を開いたり、みんなでぶくぶく、Happyがシェアできる場にしたいと計画しています」

また、若い農家さんやオーガニックの八百屋さんの中には、言葉やアートなどによる表現を盛んに行っている人もいて、「ameen's oven」のカフェスペースも発表の場として活用されています。そして、ミシマさん自身も詩人として活動を開始。2017年には「現代詩手帖」にパンの詩が掲載され、「パンが支えてくれなかったら、こんな機会はなかったでしょう」と、喜びを語ります。

店名の「ameen」とは、ミシマさんがインドを旅している頃からのニックネーム。アラビア語でsincere(正直な、誠実な)といった意味があるそう。ミシマさんは照れくさいと笑いますが、ミシマさんの焼くパンからは、いつも自分に正直で、誠実に生産者やお客さんと向き合う姿勢がうかがえます。それは、インターネットの向こう側にいる、見えないお客さんと対峙(たいじ)していた、“先代”の「ameen's oven」の頃と一緒。ミシマさんはいつも心の言葉を紡ぐように、一つ一つのパンを丁寧に焼くのです。