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Monthly FACE 〜極める人々〜

仲垣友博

Profile

1976年生まれ、福井県出身。株式会社ユハク代表取締役。2006年、ビスポーク(受注製作)で革製品を製作する工房「ameno spazio」(アメノスパッツィオ)を設立。2009年、現在の株式会社ユハクに改組。独自の染色技術による美しいグラデーションカラーで国内外から注目を浴びる。ブランド名「YUHAKU」は自身の名前を音読みしてアルファベット表記にしたもの。

きっかけは「デザインしてみたら?」の一言

横浜に拠点を置き、独自の染色技術を使った革製品を展開するYUHAKU。現在、国内外から耳目を集めているこのブランドを立ち上げた仲垣友博さんは、職人、デザイナー、そして経営者として世界を飛び回りながら活躍しています。染料のみを使って色を重ねていく仲垣さんの染色技術は世界的にも珍しく、靴の本場イタリアのメーカーが「こんな色を出せるアーティストはイタリアにもいない」と絶賛するほど。仲垣さんの技術を知りたいと、海外から足を運ぶ職人もいます。そんな染色技術を独学で生み出した仲垣さんが「革」との出会いを果たしたのは、在籍していた建築系の大学を中退し、絵画の道を志していたときでした。

「当時、靴の販売のアルバイトをしていたのですが、あるとき上司から『絵をやっているのなら、デザインしてみたら?』と言われて。その一言がきっかけで靴のデザインをすることになり、革に触れる機会が増えるうちに、自分で物を作りたいと思うようになりました。最初は手芸用品店で手縫い用の道具を買ってきて、独学で製作を学びました」

そんな珍しい経緯で革を扱い始めた仲垣さんは、革の面白さにのめり込んでいきます。

「革製品を作るには作業スペースに広さが必要。騒音も出るし、自宅で作業するのは難しいんです。そこで、バイクのカスタムをしている友人と一緒に倉庫を借りることにしました。最初は趣味の延長としてやっていたのですが、その友人が先に独立したことで触発され、負けず嫌いな気持ちもあって(笑)、勢いで独立を決意しました」

“3年間は人の3倍努力しよう”

独立当初に掲げた目標は「自分のブランドを世界中で展開すること」。しかし、目下の急務は「まずは食べていけるようになること」でした。

「学校で技術を学んだわけでもないし、有名な職人に師事したわけでもない。技術も素人と大差ない程度だったので、最初の3年間は修行と決め、自分にむちを打って一日3時間程度の睡眠で毎日休みなく働きました。人の2倍努力すれば追いつけるだろう、3倍努力すれば少し秀でるものができるはずだと考えたんです。最初は試行錯誤の連続で時間もかかり、作り上げてみると時給換算で300円を切ってしまうようなこともありました。映画やステージの衣装製作という大きな依頼もいただけるようになりましたが、プレッシャーで押しつぶされそうになり、一人で涙を流しながら作っていたこともあります。でも、自分の作品が実際に映画やステージで使われている姿を見て、“続けていこう”という強い気持ちが湧いてきたんです」

百貨店との契約から一転、窮地に

「独立後はオーダーメイドが中心でしたが、その傍らでオリジナル商品を作りためていました。ようやく人様に見せても恥ずかしくないと思えるものができるようになりましたが、何の広告塔も販売先もない状態で、“どうしたら百貨店やセレクトショップで扱ってもらえるんだろう”と思いながら銀座の百貨店を眺めていました」

仲垣さんは展示会への出展を決意し、ドイツと日本国内の展示会に出展するも苦戦。そんな中、たった一社、ある国内の大手百貨店での販売が決まりました。

「ただ、最初から売れるわけではありませんでした。困っていたところ、大手アパレルブランドとのダブルネームで1年間の独占契約、というオファーをいただきました。やっとすべてが順調にいくと思った矢先、東日本大震災が起きたんです。日本中の経済が停滞し、百貨店との契約は途中解除になってしまいました」

この最大の窮地で、仲垣さんは勝負に出ます。銀行からお金を借り、一カ月の間、収入を得られる仕事をすべて放棄してサンプル作りに没頭。出来上がった作品を手に、展示会に再度チャレンジしたのです。渾身(こんしん)の作品はバイヤーたちの目を強烈に引きつけ、この展示会をきっかけに、多くの百貨店での取り扱いが決まりました。

「革との対話」から生まれる可能性

独立から12年が経ち、ブランドが大きく成長した今も、仲垣さんが面白さを見出しているのは「革との対話」。そこから可能性が生まれ、思うような色が出せるのだといいます。真摯(しんし)な気持ちで目の前の革と向き合うこと。それは、初めて革に出会ったあの頃から変わっていないのかもしれません。そして、当時と同じ“無限の可能性”を、今も仲垣さんは革との対話を通して感じています。

「今は経営者としての仕事の比重が大きくなっていますが、自分はアーティスト寄りの人間なので、今後はそちらの活動を再開していきたいと考えています。例えば、手染めした革を何百枚も使用した立体の造形物を作って、画廊で展示会を開くというのも面白いのではないかと。今から楽しみで仕方ありません」

今一番幸せなことは、「社員がYUHAKUを愛してくれて、誇りに思って働いてくれていること」と話す仲垣さん。“アーティスト寄り”とは言いながらも、経営者としての顔もしっかりとのぞかせてくれました。