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Monthly FACE 〜極める人々〜

廣瀬 雄一

Profile

1978年生まれ、東京都出身。廣瀬染工場四代目。10歳の頃始めたウインドサーフィンでシドニーオリンピックの強化選手に選出されるも、22歳の時に引退し、家業の江戸小紋染職人となる。2006年にKOMON HIROSEブランドを設立し、伝統の紋と現代の柄を融合させたオリジナルの反物やストールなどを手掛け、世界に向けて日本の伝統工芸の魅力を発信する他、平成26年第61回日本伝統工芸展で入選するなど、高い技術が認められている。

由緒ある江戸小紋染を、未来へつなぐ

遠目には無地に見えても、近くで見ると繊細な模様が描かれている「江戸小紋染」。その昔、武士の裃に使われた染技術で、由緒正しい一族の紋様が美しく、ぜいたくを禁止されながらもしゃれを楽しんだ町民の粋な文化が、現代にも華やかに映ります。代々受け継がれる、廣瀬染工場四代目・廣瀬雄一さんは、反物に手を伸ばすと、その一瞬で職人の血が覚醒したように目付きが変わり、工場全体の空気が引き締まりました。静寂の中、すーっとのりがのびる音が心地よく、型紙をめくると美しい模様が浮かびます。慣れた手付きでへらをくわえ、また隣へと型紙を動かし、繰り返す。一段落ついた廣瀬さんは、柔和な表情に戻りました。

「これは伝統的なサメ柄で、徳川家が身に着けていた紋様。まず型紙を置いて上からのりを塗り、つなぎ目をうまくつなぐように繰り返していくのです」

上質な白い反物に、柄を掘り抜いた「伊勢型紙」を重ねて、黒地ののりを塗り、乾いたらその上から地色を染める。蒸して染料を定着させた後に水でのりを洗い流すと、細かく繊細な小紋が姿を現します。その美しさはなんとも上品で、手に取ると思わず目を細めてしまうほど。

「一流の物は、一流の物同士が重ならなければできません。『工芸』とは、たくさんの職人たちの技が重なり合って、初めてできるもの。しかし、例えばこの伊勢型紙を彫る職人の後継者も不足しているのが現状です」
廣瀬さんは、慣れ親しんだ工場の中で、年季の入った道具たちをいとおしむように語りました。

日本代表の強化選手に選ばれるも、心に決めた道へ―

廣瀬さんは、物心ついた時からこの美しい伝統美がいつもそばにありました。家には常に職人が出入りし、祖父や父の職人としての背中を見て育ったといいます。そうして自然と“自分も職人になる”というイメージが少年の心を染めていったのです。その反面、幼い頃に出会ったウインドサーフィンでは、オリンピックの強化選手に選ばれるほどの腕前で、日本のトッププレイヤーでもありました。遠征や大会に東奔西走する日々。周囲の期待も、自分のモチベーションもまだまだ高い時期でしたが、学生時代を終えると同時に決断し、職人となる道を選びました。

「おぼろげに、職人は30歳くらいから始めたらよいかと思っていたのですが、祖父に『職人になるなら早く始めるべきだ』と言われたんです。就職するつもりはなかったし、家を継ぐことは心に決めていたので、そこでずばり決めました。今思えば、“習う旬”ともいえる時に勉強できたと思っています」

もともと何かを極めることが好きな性格。吸収力が高く、師の技をしっかり学んだ廣瀬さんは20代の間にどんどん自分の中に技術を落とし込み、職人として開花します。ウインドサーフィンでの経験は、感性となって今も心の中の大きな存在となっているのだとか。

「大会や遠征で海外に行くことも多かったのですが、そこで海外から日本を見たり、海外の人から日本の魅力を教えてもらったりできました。世界各国に行けた経験は今につながっています」

28歳の時には「KOMON HIROSE」ブランドを設立。江戸小紋のネクタイやクラッチバッグの他、スカルなど新しい紋のデザインを発表するなど、次々に自分らしい作品を生み出し、力を発揮していきました。

「売れるもの」ではなく、職人技の極みを追求する

廣瀬さんはブランドとして新しいことに挑戦する中で、気付いたこともありました。江戸小紋の存続を図るために革新的なことをしていくうち、伝統工芸の本質を求めるようになっていったのです。

「『便利・簡単』はイコール『豊か』ではないのです。最近はプリントした手軽に買える着物もありますが、次々と消費されていくようなものと、美術館に並ぶ反物はまったく異なるものです」

最近はフランスでの展示会や、世界各国の大使が集まる東京都内のパーティーで、職人の技を実演する機会にも恵まれている廣瀬さん。そこで技を見た人たちが感激して喜ばれる反応は大きな糧となっています。

「存続とか規模を大きくするとかではなく、100年先にも残るようなよい染物を作りたいと、今は思っています。40歳を目前にした今、目指していることは“一流の工芸品”を残すこと。工場には多くの職人が残した名器が数多く受け継がれ、型紙は、4000柄を超えます。この眠れる財宝を工場の肥やしにするか、現代によみがえらせるかは自分次第ですね」

やりたいことや目標は成長するほどに深みを増し、高いレベルとなり、幅が広がっていきます。「人生の選択」は選んだ後からが勝負であることを体現しているかのように見えました。