クラブ・エス ウェブマガジン

Monthly FACE 〜極める人々〜

和田博幸

Profile

1961年生まれ、群馬県出身。東京農業大学農学部農芸化学科卒業。在学中の草むしり体験がきっかけで、財団法人(現・公益財団法人)日本花の会の職員となる。2000年には一般財団法人日本緑化センターの定める樹木医に認定。その後、共に国指定天然記念物の指定を受ける、山高神代ザクラ(山梨県)や大島のサクラ株(東京都)などの調査・樹勢回復を担当。日本花の会主幹研究員として日本各地の現場へ出向く回数は、年間100日前後に及ぶ。NPO法人東京樹木医プロジェクト、NPO法人みどり環境ネットワーク! 、一般社団法人日本樹木医会の各理事。

桜の声が聞こえる、樹木医の観察眼

「こうやって公園をざっと見回すだけでも、『具合が悪そうだな』という木々のサインが見て取れます。例えば、この桜の根元には、若い枝が伸びていますよね。今ある枝では何かが不十分だから、それを補おうとしているのでしょう」

そう話すのは、桜に関する数々の難治療を手掛けてきた、樹木医の和田博幸さん。お花見の季節を控えた早春、都内のとある公園で、直々にレクチャーをしていただけることになりました。私たちが花を愛でる際、どのようなことに注意を向けるべきなのでしょうか。

「木は地表近くの根で呼吸しますから、根元に近い土を踏み固めないようにしたいですね。桜の樹勢が弱まってくると、一つのつぼみから咲く花の個数が少なくなってきます。ソメイヨシノであれば4輪くらいが標準。3輪や2輪に減っているとしたら、障害を訴えている証拠です」

しかし和田さんは、木のそばで桜を楽しむのがお花見の妙味と、前述したこととは矛盾しているかのような知見を披露されました。花が咲くのは一年の中でわずかひととき。であれば、シーズン外にケアしていく方が効果的だと考えているからです。

「皆さんが目にする桜の多くは、台木に接ぎ木をして育てていきます。桜は自身で同じクローンの子孫を残せません。人が手を掛けないと世代をつなげられないのです。このように桜と人の間には、思っている以上の絆がある。ですから、そのつながりを無理に隔ててしまうより、どう生かすかを考えることの方が大切なのではないでしょうか」

もし、自分で手入れをするとしたら、根元に近い場所を掘り返してしまうのは厳禁とのこと。枝が張っている空間を一つの円として考え、その外寄り3分の1の部分を耕して肥料を入れる方法がお勧めなのだとか。根元から遠い部分なら、細い根が多少傷ついても大丈夫。

木を見て森を見ずとならないよう、人を診る、背景を診る

前述した日本花の会では、「桜の名所づくり」「花と緑の研究・調査」「花のまちづくり」の3点を、その主たる活動に挙げています。和田さんは、すべての領域に関わりながらも、「花のまちづくり」の責任者を務めているそうです。

「お問い合わせをいただくパターンとしては、『桜に元気がない』『花が咲かない』といったところでしょうか。そうした声を受けて現地へ出向くものの、木だけを注視しても駄目なんです。隣に建ったビルが風の勢いを強めたとか、ビル建設の地下工事によって地下水の流れが変わったとか。そうしたバックグラウンドが理解できて初めて、桜の木に集中できる。それが私のやり方です」

他方で、地元の方の理解も欠かせないと言います。先祖代々、昔から大切にしてきた桜だからこそ、「よそ者」を敬遠するような心理が働きかねないのです。そんなときに役立つのが、樹木医という専門資格による正確な診断。また、桜の性格や特性など、地域の方が描いているイメージを的確に分かりやすく説明することで、「そうそう、分かっているじゃないか」という納得が得られるそう。

「幹の中を食べてしまう外来種の害虫が持ち込まれたから桜を枯らす、アスファルトで根元近くまで舗装したから根が呼吸しにくくなるなど、結局原因を作っているのは、人なんですよね。相互理解に至っていないからあつれきが生じる。資格としては樹木医ですけど、地元を動かしていく関係つくりのようなところから始めることもあります」

続けて、和田さんは言います。お花見を一方的に楽しむのではなくて、せっかく咲いてくれた桜に感謝するような関係を結んでほしい。そうすれば、周りの環境や人の動きが見えてくるはず、と。落ち葉を掃除してくれているのは誰なんだろう。掃除してくれる人がいなくなったらどうなるんだろう。桜への感謝が人への感謝へ昇華したとき、もつれた糸はほぐれ始めます。

価値観が多様化する中で、資格の持つ役割とは

「もともと私は、大学で生物化学を専攻していたんですね。例えば、ヒヨコがニワトリへ育つとき、黄身がどう体内に取り込まれるのか。その仕組みを研究していました。分野でいうなら栄養食品化学の領域。就職活動も食品メーカーなどが中心で、桜に関わるなんて考えてもいませんでした」

そんな和田さんに転機が訪れたきっかけは、意外なことに草むしりのアルバイトでした。「植物愛好会」というサークルの縁により、建設機械メーカー小松製作所社長の個人庭園へ出掛けたときのこと。日本花の会を創設したのが同社の前社長という背景もあり、職員にならないかと声を掛けていただいたのだとか。

「樹木医は基本的に“木のお医者さん”なんですが、人と緑をつなげているような感覚ですね。現場ではさまざまな意見や臆測が飛び交いますから、今、何が起きているのか、これからどのようなことが考えられるのかを正確に評価する。そうした事実を桜と関わる人に知っていただかないと、前へ進めません。まさに、人間の医師でいうところのインフォームドコンセントでしょうか」

和田さんが過去に手掛けた山高神代ザクラのケースでは、樹木医が調査した現況をベースに、委員会と一緒になって樹勢回復計画を立てていったそうです。その際、予算内でどうまとめるのかも樹木医の仕事。お医者さんというより、もはやプロジェクトマネージャーのよう。また、いわゆる園芸品種で市場にある主な桜は約50種。桜の名所づくりにおいては、50色のクレヨンを自在に駆使して「ストーリーのある絵」を描くのが、和田流の理念です。

「樹木医になってよかったのは、同業から最新の現場事情が聞けたこと。机上で学んだ知識だけではスキルがアップデートされません。現場での経験と技術が貴重な財産になっていきます。もちろん私からも、桜に関するノウハウを公開しています」

専門家としての信頼性、資格取得者同士の情報交換、技術の体系的な積み重ね―。人・情報・技術の3点において「資格は有効」と話す和田さん。「桜は人で育つ」という事実は、案外、ほかの業種にも共通する真理といえるでしょう。人を動かす、よりどころとなるのが資格。愛らしいピンクの花は、そんな人生の機微を教えてくれました。